インターネットが始まる前のパソコン通信の時代にROMという略語があった。Read Only Memberの頭文字をとったものである。読んでばかりいて、少しも発言しない人のことを揶揄して行った言葉だ。今は、ブログなどができて、書く人はずいぶん増えた。それでも、書いている人は読んでいる人の1割にも満たないのではないだろうか。 書かない人は書けないと思っていることが多い。小説の対談などに、天からの声に導かれる様に文章がすらすらと頭の中から湧き出て来た、というようなことが書かれていると、凡人の自分には文章は書けないと思ってしまう。歴史に残るような文章は書けないだろうが、普通の文章は、書き始れば誰にでも書けるのだ。逆に、宝くじを買わなければ当たらない様に、書き始めなければ絶対に書けない。 とにかく、書き始めること。書き始めてみると文章の不足に気づく。そこを埋めて行く、続きを考える、埋めて行く、これを繰りかえしていくと自然と文章ができていくものだ。書くことにより考えが導きだされて行くのである。畑で芋のつるをたぐって行くと、根に付いている芋が、次から次へと面白いように採れるのと同じことだ。 もう一つ、書き手は読み手だと言うこと。書くことは不足を埋めて行く行為であるのなら、読むことは書き手がどのように不足を埋めたのかの足跡をたどる行為である。ただ、漫然と読むのでなく、次に来る文章がどんなものかを考えながら読む。自分の考えが当たっても外れても読むことが楽しくなる。読みのモチベーションがあがるのである。読むという行為で書く練習をしているのだ。 今まで書いて来た文章は、実は文末に書かれている本の受け売りである。実際に私がこのブログを書けたことでも証明されたように、文章は人の書いた物を咀嚼し消化することで書けるものである。小説家などの物書きは膨大な量の本を読んでいる。それを取り込んで自分のものにして文書を書いている。 木は根からの水や養分を吸収し、それに太陽光を与えて光合成でエネルギーで生きている。同じように文章を書くためには、書くための養分になるものが必要だ。それは実際に経験したり本を読んだりして得た知識である。 この本は、文章を書きたくても書けないと思っている人におすすめの一冊である。 【参考】 800字を書く力 著者:鈴木信一 祥伝社新書 740円