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11月, 2007の投稿を表示しています

求めない

日本人は、戦後のモノのない時代から、ずっと豊かさを求め続けてがんばってきた。気がつくと求めれば何でも手に入る時代になった。小学生の娘は誕生日のプレゼントに欲しいモノがないと言う。それほど、モノがまわりに溢れている。 今、加島さんが書いた「求めない」が売れているそうだ。タオイストで、大学を退官して山の中で仙人のような生活を送っている人である。浮き世のしがらみを捨てて山に入ったのだから、彼の生活自体が、求めないものなのであろう。 ---------------------------------------- 求めない すると心が静かになる 求めない すると今持ってるものが活き活きしてくる 求めない すると大切なものが見えてくる 求めない するとほんものを探してる自分に気づく 求めない すると求めたとき見えなかったものが見えてくる ---------------------------------------- こういう詩が延々と続いている。 モノが豊かになれば幸せになれると言うことを信じて、がむしゃらに突き進んできた日本人が、青い鳥なんていないと気づき始めたのが、今なのかもしれない。 この本の始めのところで、こんなことも言っている。 ---------------------------------------- あらゆる生物は求めている。 命全体で求めている。一茎の草でもね。 でも、花を咲かせたあとは静かに次の変化を待つ。 そんな草花を少しは見習いたいと、そう思うのです。 ---------------------------------------- 我々は、モノ以外の本当の青い鳥を見つける時期に来ているのかも知れない。

試行錯誤の餅つき大会準備

菩提寺の長生寺で、今年の暮れに餅つき大会をやることが決まった。臼と杵一式は揃えたものの、住職は、餅つきをやったことが無い。そこで檀家の人たちを集めて、予行演習をやることになった。 餅米をいつ磨いだら良いのか、水の加減は、蒸す時間は・・・。この辺は、仏婦のおばあちゃんの知恵が活かされた。買ったばかりの臼はには、すでにヒビが入っていた。聞く所によると、手入れが悪いとすぐに、このようになってしまうということだった。 ゴザを敷いて、その上に臼を置き、合いの手用の桶をセットして準備完了。蒸したての餅米を臼に入れてつき始めたが、合いの手の頭が危ない。杵にぶつかりそうになる。それを遠くで見ていたお年寄りが、血相を変えて近づいて来た。 「合いの手は、杵をつく人のすぐ横でやらないと危ないよ」と注意された。その通りの位置でやってみると、今度は安全につけるようになった。つき上がった餅を台所まで持って行くのが一苦労。試行錯誤して、鍋に水をひいてそこにつき上がった餅を入れて運ぶのが良い、ということになった。 あんこ餅やきな粉餅にして食べたが、試しつきにしては、うまくできた。本番は12月16日。それにしても、みんなの楽しそうなこと。とても70,80才のじいさん、ばあさんとは思えない。みんな、生き生きとしていた。本番が楽しみだ。

人生を楽しむ方法

「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」とは、方丈記の出だしだが、川の水が昨日と違うとのは当たり前だ。しかし、これが、なかなか分からない。建物や道路は、何年経っても変わらないし、毎日の生活は、同じことのくり返しに見える。しかし、世の中の全てのものは、常に移り変わっている。 ゴルフ場の芝も生えては枯れるということを繰り返しながら緑を保っている。芝生はずっと同じものがあるように見えるが、一本一本の芝を詳しく見れば、入れ替わっている。人間の細胞も、日々、入れ替わっているらしい。人間の細胞は3ヶ月くらいで全て入れ替わってしまうらしい。3ヶ月前の自分と今の自分は、細胞レベルで見ると別人なのである。庭の芝生と大差はない。 細胞はタンパク質のかたまりで遺伝子に操られている。ガン細胞と言うのは、遺伝子のどこかに傷が付いて分裂が止まらなくなったコントロールができない暴走族のような細胞らしい。新聞の三面の死亡欄を見ると、あんなに元気だったのに何でこんなに早くガンで亡くなってしまったのか、と思うことがある。でも、3ヶ月で体中の細胞が入れ替わってしまうのなら、それも納得できる。 風邪などをひいて調子が悪くなると気持ちが落ち込んでこのまま死んでしまうのではないか、と思うこともある。でも、医者に行くと、すっと憑き物が取れたように直ってしまうことが多い。医者に行こうと言う気持ちになった時点で病気は直っていたのではないかと思う。悪い細胞が入れ替われば病気は直る。これが自然治癒というものなのだろう。 世の中の全てのものが流転する。鴨長明も兼行も何百年前から言っている。これは真理と言って良いだろう。これに反して、今の幸福がずっと変わらないで続いて欲しいと考えること自体が間違っている。 全てのことは、変わるものだと最初から思ってしまえば良い。幸福は、仕合せとも書く。英語ではHappy。どちらも偶然のめぐり合わせという意味だ。幸福がずっと続くことはありえない。幸福だなぁということがあっても、こんなことは長くは続かないと思えば良い。幸福なんて宝くじに当たったようなものと考える。逆につまらないことがあっても、今に良いこともあるさ、と思うことにする。 ローカル線に乗って車窓から遠くの景色を眺める旅人のように、変化を受けいれて、目の前で移り変わっていく景色を楽しむ。そして、それ以上は何も望まない。