トイレの電灯が切れた。家を施工した会社に電話すると部品がないので3万円かかるという。家の電灯はドアが開くと自動的につく仕組みになっている。この方式は古いので、今は人をセンサーが感知して自動的に電灯がつく様になっているのだという。だから、古い部品は置いていないのだと言う。
普通に考えると電灯の修理などは数百円で電球を交換すれば済むはずだ。スイッチを押せば明るくなる、それで良いのである。これ以上、便利になる必要などない。今のドアが開くと自動的につくトイレの電灯も施工業者が勝手に付けて行ったものである。それより、確実に動作して壊れない、維持管理にコストがかからないシンプルなものの方が利用者にとってはありがたい。
今の世の中、このような過剰なサービスが横行して、それにお金を払わされていることが多いのではないかと思う。この便利なトイレの電灯はユーザの利便性より企業の収益性を考えた製品にしか思えない。60年代に人類が理想としていた利便性を追求した物質文明が見直され「もったいない」が復権してきた現在、製品開発の姿勢を見直す時期に来ているのではないかと思う。
普通に考えると電灯の修理などは数百円で電球を交換すれば済むはずだ。スイッチを押せば明るくなる、それで良いのである。これ以上、便利になる必要などない。今のドアが開くと自動的につくトイレの電灯も施工業者が勝手に付けて行ったものである。それより、確実に動作して壊れない、維持管理にコストがかからないシンプルなものの方が利用者にとってはありがたい。
今の世の中、このような過剰なサービスが横行して、それにお金を払わされていることが多いのではないかと思う。この便利なトイレの電灯はユーザの利便性より企業の収益性を考えた製品にしか思えない。60年代に人類が理想としていた利便性を追求した物質文明が見直され「もったいない」が復権してきた現在、製品開発の姿勢を見直す時期に来ているのではないかと思う。
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