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▶菅原道真公の飛梅伝説

湯島天神の梅まつりに行ってきました。境内は梅で埋め尽くされていてキレイでした。湯島天神の紋所も梅なんですね。何で梅がこんなに使われているのかを調べてみましたら面白い話がありましたのでご紹介します。(廣瀬隆夫) 菅原道真公は、 幼少の頃から神童のほまれ高く 5歳の時には、すでに、このような和歌を詠まれていたそうです。”あこ( 阿呼) ”は道真公の幼名です。 美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある  (5歳の時の銅像) (紅梅はきれいだなあ、わたしの顔にも頬紅を付けたくなったよ) 32歳という若さで文章博士となり、37歳には右大臣にまで上り詰めました。右大臣とは、最高位の左大臣を補佐する副総理のような役職だったようです。順風満帆だった道真公ですが、宇多天皇が道真公ばかり重用していたことに不満を抱いた左大臣の藤原時平の政略により、身に覚えのない罪によって901(延喜元)年に、大宰府へ左遷させられてしまったのです。 道真公は、京都の屋敷の庭に梅、桜、松の木を植えて愛でていました。特に梅に思い入れが深く、別れを惜しんで梅の木に語りかけるように詠んだのが、次の歌です。 東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ (梅の木よ、私が大宰府に行ってしまったからといって、春の到来を忘れてはならないよ。春の東風が吹いたら芳しい匂いの花を咲かせておくれ) 道真公を慕う庭木のうち、桜は悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったそうです。しかし、梅と松は、空を飛んで道真公の後を追ったそうです。松は途中で力尽きて、兵庫県神戸市須磨区板宿町の「飛松岡」と呼ばれる丘に降り立ち、この地に根を下ろしたそうです。これは飛松伝説として残っています。 https://itayadohatiman.jimdo.com/当社について/神社の由緒/ 最後に残った梅は、見事に、その日の夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んで行き、その地に降り立って根付きました。 樹齢1000年を超えるとされる白梅が、御神木として、今でも太宰府天満宮に残っています。 https://www.dazaifutenmangu.or.jp/info/detail/412 菅原道真公は、大宰府に流されてわずか2年後の903(延喜3)年に病のため遠い異国の地で亡くなりました。

お風呂は何で気持ち良いのか?

 お風呂に入ると“あ〜極楽”と自然に声が出てしまいます。なんでこんなに気持ちがいいのでしょうか。血行が良くなる、気持ちがリラックスする、体が温まる。それもありますが、私は万有引力から解き放されることがお風呂の心地よさだと思っています。 木から落ちるりんごを見てニュートンは万有引力を発見したということになっていますが、私たちの体は、引力の影響を受けています。夜は横になって眠りますが、人間は生きている限り引力に逆らって、立ち上がったり歩いたりして生活していかなければなりません。油断すると、つまずいて転んだりして骨を折ったりします。人が倒れたというと、ちょっと危ない信号です。 お風呂に入るとお湯の浮力で体が持ち上げられます。その時だけ引力から解放されます。旅館の広いお風呂であれば、力を抜いてポカリと湯船に浮くことも出来ます。目を閉じると体の存在すら忘れて母の胎内にいた時のような心地よさを感じます。 仕事が終わってお風呂に入り、一日の出来事を反芻しながら、ゆっくりと湯船に体を浸すとき、生きていて良かったなあと思います。体の芯から明日の活力が湧き出てくるような感じがします。そんな時、お風呂のある日本という国に生まれて幸せだなあと思うことがあります。

カレンダー

カレンダーの歴史を紐解きますと紀元前18世紀のバビロニアまで遡ることができるそうです。無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーは、時間の経過を忘れないために、まず、カレンダーをつけることから無人島生活を始めたということになっています。カレンダーはいつ、何をしたかという記憶を呼び戻すために必要なツールです。歳を取るごとにカレンダーが大切なものになってきました。 毎年、暮れが近づきますと残り少なくなったカレンダーを見て、今年も残り少なくなったな、と小さなため息をついています。私は小さなカレンダーを自作しています。見開きでひと月が見渡せる片面が名刺くらいの大きさのカレンダーです。そのカレンダーを胸のポケットに入れて、いつでも持ち歩いています。予定が入ったら、その都度、書き込むようにしています。 今では、このカレンダーがないと生活できないくらい重要なものになっています。スマホが普及して電子的なカレンダーに移行しようかと何度もトライしてみましたが、電池がなくなったり故障したらどうしようと考えてしまい、手製の名刺カレンダーを使い続けています。 このカレンダーを使い始めてから20年近く経ちますが、結婚して、父親がなくなって、子どもが生まれて、定年退職してという日々の足跡がメモとして残っているのはありがたいことです。そこの書かれた小さな走り書きを見ると不思議と忘れていた記憶が蘇ってきます。これからもこの手作りカレンダーは唯一無二の親友として、ずっと付き合っていきたいと思います。