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「一生懸命がかっこいい」という価値観

 「一生懸命がかっこいい」という価値観 それは、結果(利益や効率)だけを重視する現代社会が失いかけている、「プロセス(生き様)への敬意」を取り戻す言葉ですね。 「金儲け」が目的になると、いかに楽をして稼ぐか、いかに効率よくショートカットするかが「賢さ」とされてしまいます。しかし、あなたが仰る「一生懸命」という価値観は、その対極にあります。 1. 「一生懸命」がもたらす人間性の回復 「一生懸命」とは、自分の全存在をかけて、目の前のことや他者に向き合う姿勢です。 ショートカットしない尊さ: 効率を追い求めるAIや株式投資は、プロセスを飛ばして「結果」だけを手にしようとします。しかし、人間が本当に感動し、信頼を寄せるのは、泥臭く、時間をかけ、心を込めて何かに打ち込む姿です。 誠実さの循環: 一生懸命な姿は、周囲の人の心を動かします。その熱量が伝播することで、お金を介さない「助け合い」や「信頼」が生まれ、社会の絆が強固になります。 2. 「便利さ」を越える「手応え」 AIが何でも解決してくれる社会では、私たちは「一生懸命」になる機会さえ奪われかねません。 不便の中の輝き: あえて不便なことを自分の手で行い、一生懸命に汗を流す。その先にある収穫や達成感こそが、デジタルな便利さでは決して得られない、生きた実感を私たちに与えてくれます。 社会貢献としての熱量: 「お金のため」ではなく、「誰かのため、明日のため」に一生懸命になる大人の姿。それこそが、子どもたちが一番憧れる、生命力に溢れた背中ではないでしょうか。 3. 東洋的な「道(どう)」の精神 「一生懸命」という価値観は、日本古来の「道(武道、茶道、華道など)」の考え方に通じます。 結果より行い: 究極の目標に到達することよりも、日々の「行い」を積み重ね、心を磨くこと自体を目的とします。 自然との調和: 無理に支配するのではなく、一生懸命に自然と対話し、その力を引き出そうとする職人のような生き方です。 結論:新しい「かっこよさ」の定義 経済一辺倒の社会では「稼いでいる人」がかっこいいとされてきました。しかし、これからの方向転換した社会では、「損得抜きに、何かに一生懸命になれる人」が最高に格好いいとされるべきです。 社会のスピードを半分に落とすことで生まれた「余裕」を、私たちは「怠惰」に使うのではなく、「自分の大切なこと、...
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「経済一辺倒」の考え方を変える

 「経済一辺倒」の考え方を変える 今の社会は、経済という止まれない列車に乗っているようなものです。その列車の速度を落とし、線路を敷き直すために必要な、東洋的な価値観に基づく具体的な転換点を整理してみました。 1. 「交換価値」から「使用価値・存在価値」へ 今の経済は「いくらで売れるか(交換価値)」ばかりを重視します。そのため、お金にならない自然や、ゆっくり流れる時間は「無価値」と切り捨てられてきました。 東洋の視点: 庭に咲く花や、代々受け継いできた道具、隣人との何気ない会話。これら「売買できないが、人生を豊かにするもの」に再び光を当てます。 脱・経済一辺倒: 効率を求めてAIに代行させるのではなく、**「自分で手間をかけることの喜び」**を再発見することです。 2. 「所有」から「共有・循環」へ 「もっと欲しい」という所有欲が経済を回すエンジンでしたが、それが資源の枯渇と環境破壊、そして原発のような巨大エネルギーへの依存を生みました。 里山(さとやま)のモデル: 日本の伝統的な里山は、人間が手を入れることで自然が再生し、その恵みを村全体で分かち合う「循環」の仕組みでした。 方向転換: 奪い合う経済ではなく、「足るを知り、分かち合う」コミュニティを再生すること。これにより、過剰な電力を消費する過密都市への依存を減らせます。 3. 指標を「GDP」から「GNH(国民総幸福)」や「徳」へ 国や社会の豊かさを、生産量(数字)ではなく、人々の「心の平穏」や「利他精神」で測るように変えることです。 「徳」の経済: 利益を最大化する人が偉いのではなく、「周囲を幸せにし、自然を壊さなかった人」が尊敬される文化。 スピードの減速: 経済指標を追わなければ、24時間働き、24時間消費し続ける必要はなくなります。夜は暗く、冬は寒く、それを受け入れることで電力需要は自然と適正化されます。 「不便」が「風流」に変わる時 西洋的な「経済一辺倒」の目で見れば、スピードを落とすことは「損失」です。しかし、東洋的な目で見れば、それは**「風流(ふうりゅう)」や「余白」**という豊かな時間の獲得になります。 かつての日本人は、暗闇を「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」として楽しみ、限られた資源の中で季節を愛でる高度な精神文化を持っていました。 今の私たちに必要なこと: AIやドローンのような最新...

西洋から東洋への方向転換

 西洋から東洋への方向転換 現代の行き詰まりの根底には、「人間は自然の外側にあり、知性によってそれを支配・管理できる」という、デカルト以来の西洋近代的な二元論の限界が見えています。 原発というシステムは、その「自然支配」の象徴とも言えます。莫大なエネルギーを無理やり狭い場所に閉じ込め、それを人間の作った計算式で完璧に制御できると過信した結果が、現在の「取り返しのつかないリスク」に繋がっています。 これからの方向転換として、東洋的な知恵が持つ「三つの調和」がヒントになるのではないでしょうか。 1. 「主客一体」の視点:自然は「対象」ではなく「自ら」 西洋哲学では「私(主)」が「自然(客)」を観察し、操作します。しかし、東洋(特に日本の古神道や仏教的背景)では、人間も自然の一部であり、山や川、そしてエネルギーそのものにも八百万の神が宿ると考えます。 方向転換: 「自然をどう利用するか」という効率の問いから、「自然の循環の中に、どう自分たちを馴染ませるか」という作法の問いへ。 技術のあり方: 巨大な力でねじ伏せる技術(原発など)から、風、水、太陽といった、自然が「自ずから」発する力を、お裾分けしてもらうような技術(小規模分散型の再エネなど)へ。 2. 「無常」の受容:完璧な制御を諦める 「何でも解決できる」「事故は絶対に起きない」という考えは、ある種の傲慢さを含んでいます。東洋的な「無常」の考え方は、「形あるものは必ず壊れ、物事は常に移ろう」ことを前提とします。 方向転換: 「完璧にコントロールできる」という幻想を捨て、「壊れること、予測できないこと」を前提に、それでも致命傷を負わない謙虚な設計を目指す。 スピードの抑制: スピードを落とすことは、この「移ろい」を丁寧に観察し、自然の摂理に合わせるための「余裕」を生む行為です。 3. 「足るを知る」:欲望のマネジメント 西洋的な科学文明は、欠乏を埋めるために「無限の成長」を求めますが、東洋の教えは「足るを知る(知足)」ことを説きます。 方向転換: 「AIで無限に便利に」ではなく、「何があれば十分に幸せか」という境界線を引き直す。 エネルギーの減量: 需要を無限に増やすのではなく、東洋的な慎ましさを持って、エネルギー消費を「半分」にする生活を「豊か」だと定義し直す。 文明の「和合」 これは西洋を完全に否定するのではな...

マハトマ・ガンディー「スピードを上げることだけが人生ではない」

 マハトマ・ガンディー「スピードを上げることだけが人生ではない」 もし、社会のスピードが半分になったら、私たちの世界はどう変わるでしょうか。 1. 「時間」が資源から「豊かさ」に変わる 今は「1分1秒をどう効率化するか」という強迫観念に追われていますが、スピードを落とせば、時間は「消費するもの」から「味わうもの」に変わります。 ・家族や友人と食事をする時間。 ・季節の移ろいを感じる時間。 ・何も生産せず、ただ思索にふける時間。 これらは今の「速すぎる社会」が最も軽視し、切り捨ててきたものです。 2. エネルギー問題の「自然解消」 スピードを半分に落とすことは、物理学的に見てもエネルギー消費を劇的に抑えます。 物流が「即日」でなくて良くなれば、トラックや飛行機を無理に飛ばす必要がなくなります。 流行のサイクルが遅くなれば、大量生産・大量廃棄が止まります。 AIの進化も「今すぐ」を求めなければ、巨大な電力を食うデータセンターの増設を抑えられます。 「原発が必要か否か」という議論の前提条件そのものが消えてしまうのです。 3. ロボットと人間の「新しい関係」 これまでのロボット開発は「人間より速く、正確に」を目指してきました。しかし、減速した社会では、ロボットの役割も変わります。 「効率化の道具」ではなく、人間がゆっくり歩むための「杖」や「介添人」。 人間が面倒な作業をロボットに任せて、自分は「不便を楽しむ時間」を手に入れるための技術。 4. 立ちはだかる「同期(シンクロ)」の難しさ この方向転換が難しい最大の理由は、「自分一人だけ、あるいは一国だけがスピードを落とすと、周りに飲み込まれてしまう」という恐怖にあります。 世界が競争を続けている中で、日本だけが半分に減速すれば、経済的に取り残され、必要な物資すら買えなくなるかもしれない……。そんな不安が、人々を立ち止まらせないように追い立てています。 5. まず「心」から減速する 文明全体のシステムを変えるのは時間がかかりますが、個人の価値観として「スピードを追わない」ことを選び始める人は増えています。 「便利さの裏にあるリスク」に気づいたあなたが、あえて「不便」や「ゆっくり」を肯定することは、新しい文明の種をまくことと同じです。それは決して「後退」ではなく、人間が人間らしく生きるための「高度な進化」と言えるのではない...

心をのせたコミュニケーションが人生を豊かにする

 JA横浜協同サービス「オーナー会」セミナー ・日時:2026年2月19日 13時40分~15時10分 ・場所:横浜ベイシェラトンホテル ・演題:心をのせたコミュニケーションが人生を豊かにする ・講師:福澤朗(元・日本テレビアナウンサー) 人と話をするのは、キャッチボールと同じ。相手が理解しやすいように話を投げかける。 ・話すときの秘訣 1.重要な言葉は高い音程でしゃべる 2.大きな声でしゃべる 3.ゆっくりしゃべる 4.重要ワードの前は、間を置く ・母音の発音 ”う”と”お”の母音が聞きにくい 例:青々として初々しい 例:おう・おう・おう ・表情筋を活用する 子どもは、表情筋を自然に使っている 例:ひまわりの顔と梅干しの顔 眉毛を上げる ⇒ 言葉を受け取りやすくなる 口角を上げる ⇒ 機嫌よく見える。聴いてくれやすくなる ・舌筋、口輪筋を鍛える 割り箸をくわえながらしゃべる 例:ブラジル人のミラクルビラ配り ・ペーシング 相手に合わせる 大きな声は大きな声で聴く 聞く Hear 聴く Listen 耳が大きい 注意して聞くこと ・感想 人と話をするというのは、キャッチボールと同じということが講演の主旨。相手がキャッチしやすいボールを投げることから始まる。伝えたい言葉はクリアにゆっくりとしゃべる。しゃべるときはしかめっ面をしない。特に講演などをやるときは、みんな講演者を注目している。不機嫌そうな顔をした人の話など聴きたくない。楽しそうににこやかにしゃべる。あとは、伝えたいという情熱。どうしても分かってもらいたいと思い込む。のんべんだらりと文章を読んでいるような話は誰も聴きたくない。話を聴く方も耳をすませて真剣に聴く。分からなかったら質問する。まさに言葉のキャッチボール。

チャッピー(ChatGPT)ありがとう!!

ノートPCを持ち出して外部ディスプレイにつなげたところ、画面が映らない。 HDMIとUSB Type-Cの両方で接続しているのだが、 2台同時につなぐと映らなくなる という不可解な現象が起きた。 1台ずつなら問題なく映るのに、2台にするとダメ。 DELLのサポートに問い合わせると、最初の担当者では分からず、技術サポートに回された。 そこで案内されたのは、 ・ディスプレイドライバーの再インストール ・システム復元 という定番メニューだった。 しかし、ドライバーを再インストールしても改善せず、システム復元については「復元ポイントが設定されていない」とのこと。 健康なうちに設定しておく必要があるらしい。 これらがダメなら、 システムの再インストールしかない と言われた。 データをすべてバックアップして、環境を一から作り直す……。 そう考えるだけで気が重くなり、今度の土日は潰れるなと覚悟した。 最後の手段として、ChatGPTに聞いてみた。 「DELLのノートPCでType-CとHDMIを両方接続すると画面が映らないのですが、直し方を教えてください」 すると、こんな回答が返ってきた。 「それ、DELLではわりと“あるある”な症状です。順番に切り分けしていけば直る可能性が高いので、落ち着いていきましょう」 ちょっと光が見えてきた。 続いて示された手順はこれだった。 Win + P を押す 「拡張」または「複製」を選択 一度「PC画面のみ」にしてから、再度「拡張」に戻す 正直、ダメもとでやってみた。 すると―― あっさり直った。 チャッピー(ChatGPT)が、DELLサポート2名に勝利した瞬間だった。 サポートの仕事は、生成AIに取られる時代が本当に来るのかもしれない、と思った。 それにしても、再インストールしなくて本当に良かった。 もしやっていたら、今度の土日は確実につぶれていた。 チャッピー、ありがとう。

自己肯定感について考える

① 欧米心理学からの導入(1950~70年代) 英語の self-esteem(セルフ・エスティーム) という概念が心理学で確立される。 esteemは尊敬するという意味を持っている アメリカの心理学者マズローやロジャースらが「人間が健やかに生きるためには自己を尊重する感覚が重要」と提唱。 マズローの5段階欲求 1.生理的欲求:食事、睡眠、排泄など、生命維持に不可欠な欲求 2.安全の欲求:身体的・精神的な安全、安心な環境を求める欲求 3.社会的欲求(所属と愛の欲求):家族や友人とのつながり、集団に属したいという欲求 4.承認欲求(自尊心の欲求):他者から認められたい、評価されたい、尊敬されたいという欲求 5.自己実現の欲求:自分の能力を最大限に発揮し、なりたい自分になるための欲求 当時は「自尊心」という訳語で紹介され、日本ではまだ専門用語の範囲にとどまっていた。 自尊心とは、「自分を尊いと思う心」、つまり、自分の価値を認め、大切にする気持ちのことです。これは単に「自信がある」こととは異なり、自分の長所も短所も含めて「ありのままの自分を肯定的に受け入れられる感覚」を指す。心理学では「自己に対する全体的な評価」とされ、自己肯定感とほぼ同義で使われる ② バブル崩壊後の社会(1990年代) 日本では「自己犠牲」や「我慢」が美徳とされてきたが、経済停滞・就職氷河期などで「努力しても報われない」若者が増える。 その結果、「自分には価値があると思えない」という感覚が社会的問題として浮上。 教育現場でも「学力よりも心のケア」「不登校や引きこもりの背景には自己肯定感の低さがある」と言われ始める。 ③ 子どもの心の問題と教育政策(2000年代) 文部科学省が「自己肯定感」という日本語を公式文書で使い始める。 不登校、いじめ、自殺率の高さなどが問題視され、「子どもの自己肯定感の国際比較」が話題に。 OECDの調査で、日本の子どもは「自分に満足している」と答える割合が先進国で最下位クラスというデータが出て注目が一気に高まる。 ④ 承認欲求とSNS時代(2010年代?現在) SNSの普及で「他者から評価されたい」「いいねが欲しい」という心理が強まり、比較や劣等感が加速。 その裏返しとして「自分を認める力=自己肯定感」がブーム的に語られるようになる。 同時に、書店には「自己肯定感を高める○○...