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投稿

4月, 2009の投稿を表示しています

読むことは書くこと

インターネットが始まる前のパソコン通信の時代にROMという略語があった。Read Only Memberの頭文字をとったものである。読んでばかりいて、少しも発言しない人のことを揶揄して行った言葉だ。今は、ブログなどができて、書く人はずいぶん増えた。それでも、書いている人は読んでいる人の1割にも満たないのではないだろうか。 書かない人は書けないと思っていることが多い。小説の対談などに、天からの声に導かれる様に文章がすらすらと頭の中から湧き出て来た、というようなことが書かれていると、凡人の自分には文章は書けないと思ってしまう。歴史に残るような文章は書けないだろうが、普通の文章は、書き始れば誰にでも書けるのだ。逆に、宝くじを買わなければ当たらない様に、書き始めなければ絶対に書けない。 とにかく、書き始めること。書き始めてみると文章の不足に気づく。そこを埋めて行く、続きを考える、埋めて行く、これを繰りかえしていくと自然と文章ができていくものだ。書くことにより考えが導きだされて行くのである。畑で芋のつるをたぐって行くと、根に付いている芋が、次から次へと面白いように採れるのと同じことだ。 もう一つ、書き手は読み手だと言うこと。書くことは不足を埋めて行く行為であるのなら、読むことは書き手がどのように不足を埋めたのかの足跡をたどる行為である。ただ、漫然と読むのでなく、次に来る文章がどんなものかを考えながら読む。自分の考えが当たっても外れても読むことが楽しくなる。読みのモチベーションがあがるのである。読むという行為で書く練習をしているのだ。 今まで書いて来た文章は、実は文末に書かれている本の受け売りである。実際に私がこのブログを書けたことでも証明されたように、文章は人の書いた物を咀嚼し消化することで書けるものである。小説家などの物書きは膨大な量の本を読んでいる。それを取り込んで自分のものにして文書を書いている。 木は根からの水や養分を吸収し、それに太陽光を与えて光合成でエネルギーで生きている。同じように文章を書くためには、書くための養分になるものが必要だ。それは実際に経験したり本を読んだりして得た知識である。 この本は、文章を書きたくても書けないと思っている人におすすめの一冊である。 【参考】 800字を書く力 著者:鈴木信一 祥伝社新書 740円

夏はビールか?

汗をかいた後のビールが旨いと言うことで、昔は良くビールを飲んでいた。最近、メタボ対策でビールや酒はカロリーが高いという理由で控えていた。止めてみると、タバコと同じでそれほど飲みたいとは思わなくなった。何を飲んでいるかと言うと水である。汗をかいた後にビールがうまいのは、乾いた体が水を要求しているのであって、決してビールだけが旨いわけではないと思えてきた。冷蔵庫で冷やした水でも十分に旨いのである。 汗をかいた後のビールが旨いと言うのは、テレビなどのコマーシャルによる洗脳ではないかと思う。俳優が「汗をかいた後のビールが旨い。夏はビールだ」と旨そうにビールを飲むコマーシャルを見せられていると、パブロフの犬ではないが、夏になって、汗をかいたらビールを飲まなければいけないと頭が自動的に反応してしまうのではないかと思う。 酒屋さんには申し訳ないが、体を動かして汗をたくさん流した後は、冷たい水が一番旨いのである。

宇宙規模で考えると・・・

地球が宇宙に中に誕生したのは46億年前と言われている。10億が1ギガ(G)であるので4.6G年前である。ひと昔前は256バイトのメモリでも貴重だったのに、今では1GバイトのUSBメモリが1000円で買える時代になった。ギガという単位もそれほど大きな数とも思えなくなった。そこで、IT業界でなじみのある単位で地球の歴史を概観してみると次のようになる。 生命の誕生は4G年前で、恐竜が生まれたのが190M年前、人類の誕生は2M年前である。農耕が始まったのが11K年前、産業革命は250年前、自動車の発明が120年前、石油が本格的に使われ始めたのが80年前、コンピュータの発明が70年前、私が生まれたのが50年前、インターネットが始まったのが40年前、地球温暖化が騒がれ始めたのが20年前である。 地球が危機だと騒いでいるが宇宙規模で考えると、本当に最近のことで小さなことのように思える。太陽は、今後も5G年間(50億年)くらい輝き続けるそうである。太陽の恩恵をうまく活用している限り、地球は生き続けることができるのである。人類の歴史に比べると無限と言える時間である。数百年と言う短い時間だけ見て悲観的にならずに、ケセラセラと宇宙規模で楽観的に考えて行くべきだと思う。

プラスチックとゴミ

プラスチックと言うものは、20世紀最大の発明の一つだろう。スーパーのポリ袋やペットボトルだけでなく、パソコン、家電製品や自動車、建物などほとんどのものに使われている。経年変化が少なくて腐らない、しかも、軽くて安い。 この便利きわまりないものが、ゴミ問題として困ったものになっている。プラスチックが発明される前は、木とか竹、金属、鉱物などが使われていた。それらは、溶かして何度も使ったり、燃やしたり、腐らせたりすれば土に戻った。人は他の生物と同じ様に自然の物質循環の中で生きていた。 プラスチックは、腐り難くていつまでも土にもどらない。燃やせば有毒なガスが出る。再生して使うにはコストがかかる。こんな厄介なものはやめて昔のように自然のものを使おうと思っても,今となっては不可能に近い。 それでは、どうしたら良いのか。そもそも、プラスチックは安定な物質なので、使い捨てはやめて大事に使うようにする。もう一つは、プラスチックを自然の物質循環の中に戻せる仕組みを開発して自然にとって無害にしてしまうことである。 子どもの頃には、遊んだ後は片付けをちゃんとやるように言われた。それと同じ様に、人類もプラスチックを使って十分に遊んだのだから、その後片付けをやる時期に来ているのではないかと思う。

便利なトイレの電灯なんかいらない

トイレの電灯が切れた。家を施工した会社に電話すると部品がないので3万円かかるという。家の電灯はドアが開くと自動的につく仕組みになっている。この方式は古いので、今は人をセンサーが感知して自動的に電灯がつく様になっているのだという。だから、古い部品は置いていないのだと言う。 普通に考えると電灯の修理などは数百円で電球を交換すれば済むはずだ。スイッチを押せば明るくなる、それで良いのである。これ以上、便利になる必要などない。今のドアが開くと自動的につくトイレの電灯も施工業者が勝手に付けて行ったものである。それより、確実に動作して壊れない、維持管理にコストがかからないシンプルなものの方が利用者にとってはありがたい。 今の世の中、このような過剰なサービスが横行して、それにお金を払わされていることが多いのではないかと思う。この便利なトイレの電灯はユーザの利便性より企業の収益性を考えた製品にしか思えない。60年代に人類が理想としていた利便性を追求した物質文明が見直され「もったいない」が復権してきた現在、製品開発の姿勢を見直す時期に来ているのではないかと思う。