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長老から聞いた話(続)

「実は、もうひとつおもしろい話があるんだ」 おじいさんは、話に夢中になって、ごちそうにほとんど手をつけていなかった。 「大道に関所があったのは知っているかな」 「どこかの本で読んだことがあります」 「その関所は、宝樹院の階段を下りて左に曲がって、まっすぐ国道を渡ったあたりにあったんじゃ。今はリホームの店が建っているが、昔は、関所の跡ということで四角く囲ってあったんじゃ。定め書きの板も残っていたんだよ」 「時代劇に出てくるやつですね。見てみたいですね」 「今は、どこに行ったかわからん」 「その関所で捕らえられた罪人が入れられた牢屋の跡が堂山にあったんだよ」 「堂山は、どの辺をさすのですか」 「宝樹院の前の山を堂山と言うんじゃ。昔は、常福寺というお寺があって、そこで管理していた山だと聞いている。そこの山の横腹に洞窟が掘ってあって、そのどんずまりのところが縦に深く抜けていた。そこに罪人を入れたと言われているんじゃ。底免と呼ばれた免税地だと聞いておる」 「今でも、あるんですか」 「堂山は、開発業者に売られて崩されるという話もあったが、景気が悪くなって工事が中断されたと聞いておる。壊されないでよかったよ。戦争中に、防空濠に使っていたから、少し形が変わっていると思うがね」 「そんなものがあるとは、知りませんでした」 「小さい頃は、その中に入って良く遊んだものじゃ。そのとき、日本刀を見つけたこともある」 「えっ、侍が使ってたやつですか」 「かなり錆びていたから古いものだったと思うよ」 「なんか、ワクワクするなぁ」 「わしの子どものころは、こんなことは、珍しいことじゃなかったよ」 「実は、もうひとつ・・・」と言いかけたときに、お開きになった。世の中には、まだまだ、知られていないことがたくさんあるものである。しかし、この話が実話かどうかは定かではない。

長老から聞いた話

最近は、告別式のあとに初七日を済ませてしまう家が多い。先日も、南部斎場の告別式の後に、宝樹院で初七日の法要が行われた。そのあとの精進落としの席上で面白い話を聞いた。献杯の発声がすんで、和やかな雰囲気になった所で、隣りに座った長老が話しかけてきた。 「ふるさと侍従川に親しむ会の会報、いつも読ませてもらっているよ。”私が子どもだった頃”という話がおもしろいね」 「おじいさんも会員なんですか」 「そうなんじゃ。私は、ここに一世紀近く住んでいる。古い話に興味があるのなら、珍しい話を聞かせてあげよう。どこにも書かれていない話だよ」 「ぜひ、おねがいします」 「大道の地形は、戦争で大きく変わったんじゃ。六浦から大船に抜ける道は、戦争の物資を運ぶために作られたんじゃ。それまでは、畑の中をくねくね曲がる道だった。昭和15年頃に軍隊が強制的に地主から土地を取り上げて今の道路を作ったんじゃ」 「ひどい話ですね。まるで北の方のどこかの国みたいじゃないですか」 「そんな時代じゃったんだ」 「どこに、何を運ぶ道だったんですか?」 「実は、その先に、山をくり抜いた兵器工場があったんじゃ」 「なんだか、映画やマンガに出てくるような話ですね」 「本当の話だよ。厳重に監視されていたので中には入ったことはなかったが、入り口から覗いたことがある。遠くがかすむくらい広い工場だった」 「何を作っていたんですかね」 「詳しいことは分からないが、近くには兵器を作っている会社がたくさんあったから、そこに部品を供給していたんだと思うよ」 「その兵器の部品を運ぶために道路だったんですね」 「そうじゃ」 「終戦になったときに、そこから兵器を作る材料を持ち出して大儲けしたやつもいたんだよ」 「そりゃ、泥棒じゃないですか」 「戦後の、ごたごたの時は、そんなことは言ってられないんだよ。早いもの勝ちで、先に見つけて売りさばいたものが勝ちだったんだよ」 「山をくり抜いた兵器工場は、今でもあるんですか」 「埋め戻したということは聞いていないので、今でもそのままだと思うよ。」 「見てみたいですね。入り口はどのあたりにあったんですか?」 「この先に相武隋道という長いトンネルがあるのを知っているね。実は、そのトンネルの中ほどに兵器工場の入り口があったんじゃ」 「えっ」 「今は、入り口はセメントでふさがれているが、あの辺りの山の中はガラン