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傘はどこへ行った

三浦半島から千葉の手前まで通っていると、会社に着く頃には天気がまるで違っていることがある。その日も、朝は大雨だった。ちょうど、横浜で座れた。傘をたたんで網棚においた。品川を過ぎた辺りから急に睡魔に襲われた。降車駅の日本橋の発車のベルで起された。降りてすぐに、網棚に傘を忘れたのに気づいた。傘を乗せたまま電車はゆっくり浅草方面に進んで行った。 会社で遺失物受付に電話をした。何時にどこの駅に乗ったというと、車両番号を割り出して調べてくれた。それらしき傘は届いていないという。終点に届いていることがあるというので、青砥の駅に電話してみた。それらしき傘があるということだった。新しい傘ではなかったが、愛着のある傘だった。 会社の帰りに終点の青砥まで行った。車掌室に行くと若い駅員が出てきた。落とした傘を引き取りに着たと言うと、最初は長い傘を持ってきた。折りたたみ傘だというと、すぐに次のものを持ってきた。落とし物の傘は何本もあるのだ。二本目の傘は、新しくてかなり良さそうなものだった。これでもなかった。しかし、ここで良からぬ考えが脳裏に浮かんだ。次の傘はあるのだろうか。これをやり過ごしたら、もう傘は無いのかもしれない。そうなると無駄足になると誰かが囁いた。次の瞬間、その真新しい傘を駅員から受け取っていた。 落とした傘よりかなり新しそうだった。駅員は、何も言わずに傘を渡した。こちらに非は無い。たとえ、落とした本人が青砥の駅に着たとしても、ありませんでした、と言われるだけだろう。しかも、たかが1000円足らずの傘をわざわざ取りに来る人は少ないだろうと自分の行為を正当化した。 それから、1週間ほどして、また雨が降った。駅員から受け取った新しい傘を始めてさす機会が来た。玄関で真新しい傘を開くと光がさしていた。折り畳まれていた生地の中央部にぽっかり大きな穴が空いていた。雨は容赦なく頭にかかった。笑うしかすべは無かった。私の本当の傘はどこに行ってしまったのだろうか。

銭湯で出会った青年

本文は、かわちやビルの藤井守人氏が書かれた文章に加筆いたしました。 -------------------------------------------------------- 私は銭湯が好きだ。内風呂があるので度々は行けないが、月に1、2度行くのを楽しみにしている。大きく深い湯槽にたっぷりと満ちた練れた湯に全身を浸すと心までが温まる。内風呂では味わえない銭湯ならではの楽しみである。 先日も、出かけて、いつものように湯槽に浸かって居るとき、一人の青年が湯から上がり、身体を拭き始めた。その動きに私は見とれてしまった。 周囲に湯玉を飛ばして迷惑にならないように、手ぬぐいを固く絞っては上半身から下半身を順序良く手早く拭いていく。身体に一滴も残さずに拭き終わった。 その動きは、無駄の無い舞の芸を見るような美しさと云える所作だった。そして、今まで使っていた腰かけに桶で湯を掛け手ぬぐいできれいに拭いた。使った桶にも湯を入れ中を綺麗にふき入り口近くの所定の場所にきちんと戻した。そして、始めて会った私に軽く会釈をして出て行くではないか。 銭湯と言う公衆の場で、次に使う人が気持ち良く使えるようにする心配りを、大人でもなかなか出来ないのに、こんなにも爽やかに、さりげなくやれる素敵な若者に出会ったことに、驚きと感銘を覚えた。湯から上がって番台のおかみさんに彼のことを訊ねてみた。 元自衛官で、今は除隊して地元でタクシーの運転手をしているということであった。気配りが出来て親切なので、地域の年寄りから指名されるほどの人気者だと聞かされた。さもありなん、かれの行動態度で接すれば、誰でも贔屓したくなるだろう。 最近は、自分勝手な行動で、迷惑をかけても平気でいる人を良く目にするが、こんなに相手の立場を大切に考えることのできる若者と出会えたことに感動した。同時に自分の日頃の行動を反省させられた銭湯の夜の出来事だった。 それから、しばらくして「江戸しぐさ」という本を読んでいたら著書の中に、「銭湯のつき合い」という文章があった。その中に「後から使う人の身になれば、桶はさっとゆすいで伏せておくのが礼儀。生ぬるい湯が桶に残っていたら、次に使う人は、不潔感を覚え、どんなにか不愉快な思いをするかもしれない。云々」という文章があった。 彼のやったことは、正に「江戸しぐさ」を見事に実践して見せてくれたのであった。

沈黙の春

日曜日、晩飯を食たべたあと、ホロ酔い気分で耳掃除をしていた。弾力のある竹の耳かきで刺激していると大変気持が良い。まさに至福の一時である。 耳をホジホジしながら話に夢中になっていると、急に、右の耳にが〜んという衝撃が走った。始めは、何が起きたか分からなかった。 しばらくすると、キ〜ンという音が聞こえて止まなくなった。壊れたテレビの裏側で発する、あの嫌な音だった。耳の奥がずきんと痛い。 「おとうさん、だっこ」 耳かきを持った右腕に子供が飛びついてきたのだ。 小さな竹のへらが、絨毯の上に飛んでいた。 指で触ってみたが出血はしていなかった。鼻をつまんで息を込めてみると、右の耳からかすかに空気がもれていた。鼓膜が破れたのかもしれないと思った。 耳鳴りは止まらず、水の中にもぐっているような感じになった。 顔の右半分が麻酔を打たれたようにはれぼったい。 試しに色々な音を聞いてみたが、高い音が聞きとりにくかった。自分の声もこもって聞こえて、まるで体の中から聞こえているようだ。 テレビでクラシックのコンサートをやっていた。バイオリンなどの音程の高い繊細な音が聞き取りにくく、ビオラや打楽器などの低音は比較的聞きやすいことがわかった。 風呂に入ってみても耳の感覚は戻らなかった。みんなが寝たあとに静かな部屋で日記を書いたが、鉛筆が紙にこすれて、カリカリと出すような微妙な音が全く聞こえなかった。 寝るときに、このまま、耳が聞こえなくなってしまうのだろうかと、まどろんでいるとエジソンのほおづえをついた写真が浮かんできた。子供の頃、新聞売りの途中に駅員に耳を持って引っぱられてから耳が聞こえなくなったことや、底板にかじりついて歯から伝わる振動音を聞きながら、レコードプレーヤを発明したというような話だった。 世の中には、耳の聞こえない人たちが沢山いる。健常者には決して理解できない、それぞれの世界観があることが自分の経験から少し分かったような気がした。 そんなことを考えているうちに、知らぬ間に深い眠りに入っていた。 翌朝は、耳が痛むということは無かったが、依然として右耳の感覚は麻痺したままだった。病院に行く事にした。 薬局に聞くと、海の近くの耳鼻科専門の個人医院を紹介された。ビル名から察すると、医者の持ちビルらしく、1階にはコンビニが入っており、2階が診療室になっていた。階段の踊り場には高そうな油絵や

電車の中の困った話

電車の中で実際に起った話をまとめました。 ◇◆◇ (1) 「不揃いな靴たち」 その日も、忙しく朝が始まった。毎朝6時半に目覚ましがなった。一度、目を覚ましたが、まだ時間があると眠い頭の甘い判断でベルを止めた。次に気づいたときは、一刻の猶予も許されない7時を過ぎようとしていた。 急いで起きると隣に寝ている娘も気配を感じて目をさました。こんなときに限って子供のトイレが長い。着替えをして作ってもらったトーストパンをポケットに入れていつもより5分程遅く家を出た。とにかく、玄関に置いてある靴を引っ掛けて走り出した。 左の靴の履き具合が良くないようだ。ちゃんと履けていないのだろうと思って足元に違和感を感じながらもバス停まで走り続けた。 すぐにバスは来た。比較的空いていたので中ほどの席に座った。履き具合の悪い左の靴を履き変えてみようと思い靴を見た。靴はちゃんと履けている。右の靴を見た。こちらも良いようだ。何にも問題は無い。 そこで、両方の足元を見比べてみた。 一瞬目を疑った。 右と左の靴が違っていたのだ。 靴を間違えたらしい。そんなことも気づかなかったのだ。左の靴は、典型的な黒のウォーキングシューズ、右のは磨き上げられたオーソドックスな紳士靴である。何と言うミスマッチ。 カーと顔が赤くなるのを感じた。 スーツできめているサラリーマンが左右違った靴を履いているのは滑稽に映ることだろう。しかし、家に戻ったのでは電車には間に合わない。月曜日にはミーティングがある。遅刻は許されない。しばらく頭の中で激しい葛藤があった。結局このまま会社に行くという結論に達した。 そんなことを考えている間もにもバスは駅に向かってまっしぐらに進んでいた。もう後戻りはできかった。 電車は出来るだけ混んでいるところを選んだ。そのほうが靴が目立たないと思った。 乗り換えの道では出来るだけ端っこを歩いた。片方から見れば左右が違っていると気づかないだろうと思った。 東西線で座れたが、うぶな女子高生のように足が目立たないように出来るだけ座席の奥にしまいこんだ。 駅から会社までが随分長く感じた。知っている人に会わないことを祈った。 席に付いてすぐにスリッパに履き代えたら、ふうっと大きな息が出た。長い旅が一つ終わったという感じだった。 昼休み、早めに飯を食べて、近くのデパートに靴を買いに言った。予期せぬ出費だが、人の目を気に

バウンディン

ピクサーの「Mr.インクレディブル」のDVDに付いていた短編の「バウンディン」のストーリーを文章にまとめました。 --------------------------------------------------------------------------------------- 人生に変化はつきもの。これは、モンタナ州の山の上に住んでいる子羊と仲間たちのお話です。 深緑色のヨモギがしげる草原の遊び場に、フサフサの毛をまとった一匹の子羊がいました。きれいな純白の毛が自慢で、太陽がでるとうれしくて、陽気なウエスタンワルツに乗って、ついついステップを踏んで踊り始めます。 「ツータカタッタ、タッタッタ。みんな、踊ろうよ」 子羊につられて、プレーリードッグ、ふくろう、ガラガラヘビ、ガーグルなど、草原の川向こうの仲間たちも、一緒に踊ります。 「カーカタカッタ、ホーホホホっホ、ガーガラガッタ、ジャーブジャブ」 ところが、良いことばかりは続きません。ある日、ほろ馬車に乗ったカウボーイが子羊を捕まえました。荷台に乗せられて、あっという間に、自慢のキラキラ輝く純白の毛が刈られてしまいました。ひと抱えもある羊の毛は町の市場に出されました。子羊は、つんつるてんになって、ヨモギの草原に放り出されました。 子羊は大事な純白の毛皮を取り上げられて、踊る気力もなくなりしょんぼりしていました。すると、突然、雲行きが怪しくなり、ピンクの地肌に冷たい雨が容赦無く打ちつけました。今まで一緒に踊っていた仲間たちも巣穴に戻って行きました。 「ピンクのへんてこやろう。ワッハッハ、へんなかっこうだな」 子羊には雨音がこんな声に聞こえてきました。 そこへ跳ねながら登場してきたのが、立派な角を持った賢者の中の賢者、アメリカンジャケロープ。 「へい、坊や、何を落ち込んでいるんだい」 子羊は、今までのことを話しました。 「ピンク、ピンク? ピンクがどうした。ピンク色がそんなに悪いのか、体が何色かってことが、どれだけ大事なことなんだ。ピンク、ムラサキ、アカムラサキだったらどう? それが何だって言うんだ。大切なのは中身じゃないかな」 「でも、みんな、僕の姿を見て笑うんだよ」 「笑われたって良いじゃないか。人生には、良いときも、悪いときもある。落ち込んでいるときは、自分のまわりをよく見るんだ。毛を刈られたって、体は元

白い恐怖

これも実際にあった話です ----------------------------------------------- 診療所のレントゲン室に入ると紙コップに白い液体を渡された。 「一気に飲んでください」 ガラスごしに、めがねをかけた男が言った。 どろりとした白い液体は、決してうまいものではなかった。 冷 たい金属の取っ手を握らされて仰向けに寝かされた。体全体が傾いてぐるぐる回された。つらい体勢が強いられた。息を止めろ、げっぷは我慢しろ、と無理を 言われた。ここではガラスの向こうのめがねの男の権力は絶大だった。どんなワガママも許されなかった。こんな姿を子供たちには見せたくなかった。 「もう少し辛抱してください」と言って、めがねの男は、こぶし大の白いプラスチックのかたまりで、お腹を圧迫しながら何枚もレントゲン写真を撮った。そこは、みぞ落ちの少し下のあたりだった。彼が何でそこに興味を持っていたかは数週間後に分かった。 何日かしてお腹から白い固形物がすっかり出てしまうとバリウム検査のことなど忘れてかけていた。その日も、いつものように、ゆっくりと、メバルの焼魚定食を平らげてから、会社の席に戻った。机の上には見なれない灰色の封筒が置いてあった。 封を開けると、胃集団検診結果のお知らせ、という書類が入っていた。いかにも、ワードで作ったという味気ないものだった。 中には、こんなことが書いてあった。 ———————————————————————— 結果:<E> 所見:胃潰瘍瘢痕があるため胃カメラによる再検査が必要です ———————————————————————— 瘢痕というのは難しい漢字だ。辞書で調べたら、はんこん、と読むらしい。傷あと、という意味だ。医者は、何でこんなに難解な字を使うのだろう。 「3月17日午前10時30分に当診療所の一階受付までお越し下さい」 こちらの都合の入り込む余地のない一方的なアポイントが書いてあった。 この結果<E>というのはどのくらい悪いものなのだろうか。判定のランクの<F>には、治療または服薬が必要と書いてあった。その一つ前というランクから判断するとかなり悪いのかもしれない。困ったことになった。 し だいに、みぞ落ちの辺りが気になってきた。バリウム検査のとき、めがねの男が執拗に写真を撮っていた個所だ。ここに何か病変があるのかもしれない。めが