本文は、かわちやビルの藤井守人氏が書かれた文章に加筆いたしました。 -------------------------------------------------------- 私は銭湯が好きだ。内風呂があるので度々は行けないが、月に1、2度行くのを楽しみにしている。大きく深い湯槽にたっぷりと満ちた練れた湯に全身を浸すと心までが温まる。内風呂では味わえない銭湯ならではの楽しみである。 先日も、出かけて、いつものように湯槽に浸かって居るとき、一人の青年が湯から上がり、身体を拭き始めた。その動きに私は見とれてしまった。 周囲に湯玉を飛ばして迷惑にならないように、手ぬぐいを固く絞っては上半身から下半身を順序良く手早く拭いていく。身体に一滴も残さずに拭き終わった。 その動きは、無駄の無い舞の芸を見るような美しさと云える所作だった。そして、今まで使っていた腰かけに桶で湯を掛け手ぬぐいできれいに拭いた。使った桶にも湯を入れ中を綺麗にふき入り口近くの所定の場所にきちんと戻した。そして、始めて会った私に軽く会釈をして出て行くではないか。 銭湯と言う公衆の場で、次に使う人が気持ち良く使えるようにする心配りを、大人でもなかなか出来ないのに、こんなにも爽やかに、さりげなくやれる素敵な若者に出会ったことに、驚きと感銘を覚えた。湯から上がって番台のおかみさんに彼のことを訊ねてみた。 元自衛官で、今は除隊して地元でタクシーの運転手をしているということであった。気配りが出来て親切なので、地域の年寄りから指名されるほどの人気者だと聞かされた。さもありなん、かれの行動態度で接すれば、誰でも贔屓したくなるだろう。 最近は、自分勝手な行動で、迷惑をかけても平気でいる人を良く目にするが、こんなに相手の立場を大切に考えることのできる若者と出会えたことに感動した。同時に自分の日頃の行動を反省させられた銭湯の夜の出来事だった。 それから、しばらくして「江戸しぐさ」という本を読んでいたら著書の中に、「銭湯のつき合い」という文章があった。その中に「後から使う人の身になれば、桶はさっとゆすいで伏せておくのが礼儀。生ぬるい湯が桶に残っていたら、次に使う人は、不潔感を覚え、どんなにか不愉快な思いをするかもしれない。云々」という文章があった。 彼のやったことは、正に「江戸しぐさ」を見事に実践して見せてくれたのであった。