当時、明星電気では、アイ電子測器(株)のFDPSというCP/M ベースのミニコンで開発していました。CP/Mは、Windowsの前のMS-DOSの先祖のようなOSです。これはICE(In Cercit Emurator)が付いていて、それを基板上のZ80のソケットに挿して開発するものです。Z80は、インテルが最初に作った8080というワンチップCPUの改良版で使いやすいCPUでした。FDPSはDEC仕様のグリーンディスプレイとキーボードを接続するようになっていて、当時としては画期的な8インチのフロッピーがついていました。それ以前の機種の外部記憶装置は紙テープでした。デバッグやらトレースやらをしてバグを潰してプログラムが完成すると紫外線消去型EPROMに書き出していました。プログラム環境は、”LD
r1,r2”のように記述するアセンプラ言語で、コンパイルしてバイナリに変換してROMに焼いていました。バグが見つかると紫外線消去機で消して、再び焼くことを繰り返してやっていました。ROMの窓のところに紫外線を当てて消去して、書き込んだ後は、窓をシールで塞ぐという原始的なやり方でした。
このFDPSにディスプレイとキーボードを付けてコンパクトにまとめたABC26というミニコンがあり、それを石丸さんが、当時、後楽園にあった佐々木ビルに入っていた明星電気の本社に持ち込んだのを記憶しています。石丸さんたちは、JIPに入る前は、CSCという商社に居られましたので、開発機器などに詳しかったのです。その時、キーボードを階段から落として、キーが一つ破損しました。石丸さんが、セメダインでくっつければいい、というようなことを小声で言っていたのを覚えています。明星電気を紹介したのは、 アイ電子の青田さんということです。これが最初のきっかけなんですね。
その後は、山下システムズ株式会社の産業用マイクロコンピュータ「STD-BUSボード」が導入され、データ収集機などの大型の機械は、これで開発していました。OSはCP/Mでした。http://www.misnet.co.jp/profile/history.html
特許庁のHP
■ 出願/取得した特許
1)1986/05/28 デ-タ処理システムへの自動アクセス方式
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S61-110248/5A1EEDE33030E6C55E4E62F2921B45EE9C8564E2A9633C8656FEC9B5C3F85D9A/11/ja
2)1984/07/13 タイムレコーダーシステム(取得)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S59-121459/21CCAA165A040639AB50261E50853A8376355C65DE0E906AA3E8E302219E3E10/11/ja
3)1984/07/13 勤務時間管理システム
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S59-121458/944493148039F914F9916081EF2F925AB2CB8F286EDFA5C991666B64FA97A8C2/11/ja
4)1980/12/23 受注デ-タ収集システムにおける受注可否デ-タの伝送方式(取得)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-164963/9E6F58EBB217EF87367F588325522CDB7AB2FF062CB553AA45B2A459A73B72D0/11/ja
5)1980/12/23 デ-タ-入力装置
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-164926/5A7F081530141226DE01538A2FA7B281D1A4BDDCAAD3A69E67F492BCA4A17BB6/11/ja
6)1980/11/22 電話回線を用いたデ-タ装置
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-150656/AACEB1A2B5FC30A2F6B842803BCBEF8910B30441135408CAB4BBD780986B9FB9/11/ja
7)1980/01/24 外部より制御可能な中間スイツチ
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-011018/E5239AB68C21667303FAAC1EAB144CD7B332BB0BFFFF849A49EB9E56AE6A3E3C/23/ja
8)1980/01/18 タイマ-の出力方式
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-006605/287B5D18150E2A6C90B48D17C6907A257FBD81F78CEA93F412FCD10A4188CC77/11/ja
このFDPSにディスプレイとキーボードを付けてコンパクトにまとめたABC26というミニコンがあり、それを石丸さんが、当時、後楽園にあった佐々木ビルに入っていた明星電気の本社に持ち込んだのを記憶しています。石丸さんたちは、JIPに入る前は、CSCという商社に居られましたので、開発機器などに詳しかったのです。その時、キーボードを階段から落として、キーが一つ破損しました。石丸さんが、セメダインでくっつければいい、というようなことを小声で言っていたのを覚えています。明星電気を紹介したのは、 アイ電子の青田さんということです。これが最初のきっかけなんですね。
その後は、山下システムズ株式会社の産業用マイクロコンピュータ「STD-BUSボード」が導入され、データ収集機などの大型の機械は、これで開発していました。OSはCP/Mでした。http://www.misnet.co.jp/profile/history.html
特許庁のHP
■ 出願/取得した特許
1)1986/05/28 デ-タ処理システムへの自動アクセス方式
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S61-110248/5A1EEDE33030E6C55E4E62F2921B45EE9C8564E2A9633C8656FEC9B5C3F85D9A/11/ja
2)1984/07/13 タイムレコーダーシステム(取得)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S59-121459/21CCAA165A040639AB50261E50853A8376355C65DE0E906AA3E8E302219E3E10/11/ja
3)1984/07/13 勤務時間管理システム
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S59-121458/944493148039F914F9916081EF2F925AB2CB8F286EDFA5C991666B64FA97A8C2/11/ja
4)1980/12/23 受注デ-タ収集システムにおける受注可否デ-タの伝送方式(取得)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-164963/9E6F58EBB217EF87367F588325522CDB7AB2FF062CB553AA45B2A459A73B72D0/11/ja
5)1980/12/23 デ-タ-入力装置
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-164926/5A7F081530141226DE01538A2FA7B281D1A4BDDCAAD3A69E67F492BCA4A17BB6/11/ja
6)1980/11/22 電話回線を用いたデ-タ装置
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-150656/AACEB1A2B5FC30A2F6B842803BCBEF8910B30441135408CAB4BBD780986B9FB9/11/ja
7)1980/01/24 外部より制御可能な中間スイツチ
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-011018/E5239AB68C21667303FAAC1EAB144CD7B332BB0BFFFF849A49EB9E56AE6A3E3C/23/ja
8)1980/01/18 タイマ-の出力方式
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-S55-006605/287B5D18150E2A6C90B48D17C6907A257FBD81F78CEA93F412FCD10A4188CC77/11/ja
コメント