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5月, 2009の投稿を表示しています

川を見て考えたこと

家の近くに侍従川という名の川が流れている。浄瑠璃にも出てくるが照手姫の乳母の侍従が入水した川として知られている。川の中程の所が深くなっている。生活用水を流すために大きな土管があり、そこからの水が川底をえぐったためである。そこにたくさんの鯉がいる。人に馴れていて、人が近づくと水面に集まっ口をぱくぱくさせる。 色がきれいなのや黒くて太ったのやら、いろんな鯉がいる。その中に背骨が曲がった鯉がいることが分かった。よく見ると1匹ではない。背骨が曲がったやつは、何だか元気がなくて、いかにも病気の鯉という感じである。インターネットで調べると、日本中の海や川で捕れる魚の中に同じように背骨が曲がったのがいるらしい。市販されている殆どの洗剤に含まれている界面活性剤という物質が原因らしいということが書いてあった。 界面活性剤は石油から合成されている。原料が安くて製造がしやすいので安く作れるのだろう。同じ値段で売るのなら原料費が安い方が企業は儲かる。企業が利益を追求する経済活動は悪いことではない。しかし、商財として優れている界面活性剤が生き物にとって害があるものであるのなら、それは、本当に悪いことではないのだろうか。経済を辞書で引くと「国を治め人民を救うこと」と書いてある。金を儲けることだけが経済活動ではないはずだ。 事故米や原材料や生産地の虚偽の表示の問題が表面化してから商品の表示は正確になった。透明性がでてきた。今度は、消費者が正しい表示を理解して本当に買っていい商品とそうでない商品を見分ける賢さを身につけるべきだと思う。有毒な洗剤を直接口にするものはいないだろう。しかし、自分たちが買って、自分たちが使って、自分たちが垂れ流した有毒な洗剤が巡りめぐって自分たちの口に入るのかと考えると、なんとかしたいものである。 まずは買わないという選択から始めたい。安さを基準にするのでなく、中身を基準にして消費者が買うようになれば,自然に悪い商品は淘汰されて行くであろう。それが、次の神の見えざる手になってもらいたい。

メタボリックシンドローム対策の報告

2月にメタボリックシンドローム予備軍と言われて医師の指示を受けてから3ヶ月が過ぎた。経過報告のために診療所に行った。結果は、体重3キロ減、腹回3センチ短縮、血圧20mmHg減と3ヶ月前に目標にしていた値をほぼクリアした。今まで自堕落な生活をしてきて何度も挫折を味わって来た自分にとっては快挙であった。予想以上の良い結果で面談した医師も驚いていた。 今回、なぜ目標が達成できたかを考えると100歳近くになっても現役で元気に医師を続けている日野原重明さんの著書を読んで、自分も、あんな老人になりたい、というToBeモデルを描いてそれに向けて努力したからだと思う。 物事を達成するためには、何のためにやっているのか(Why)、そのために何をやるべきか(What)、どのようにやるべきか(How)が必要と言われているが、その中でもWhyが重要であることを痛感した。今回のWhatとHowを公開すると以下の通りである。 ・お菓子や飴などの間食をやめた ・晩酌や寝酒の日本酒やビールをやめた ・バスに乗らずに1日1万歩以上歩くようにした ・エスカレータを使わずに階段を歩くようにした 面談の最後に標準体重まで落とした方が良いのでしょうかと医師に質問したら、体重を気にしすぎないで健康のために良い習慣を身につけることが重要と言われた。

虹を見た

6時に仕事を終えて、大井競馬場から競馬通りを西に向かって歩いていた。真正面のビルの谷間に大きな太陽が沈みかけていた。立会川へ出るために、横断歩道を渡ると歩道橋の横でスーツ姿のサラリーマンが3人、空を見上げていた。何だろうと思って、同じ方向を見ると、絵に描いたような見事な虹が出ていた。東の空一面の巨大な虹だった。思わず携帯で写真を撮った。 虹を見たとたん、嫌なことや面倒なことを全く忘れて、しばらくの間、見入ってしまった。巷のチマチマしたことは、どうでも良いように思えて来てしまった。立会川の駅前に行くとみんな虹を見ていた。みんな幸せそうな顔をしていた。自慢げに道行く人に虹の講釈をしている人もいた。 京急に乗っても名残惜しくて、見えなくなるまで虹を見ていた。畏敬の念を持って自然と向き合っていた古代の人の心を垣間見たような気がした。

僕の好きな先生

忌野清志郎さんが亡くなった。派手な衣装で舞台を飛び回る姿が印象的だったが、最初に聴いた曲で好きな曲が「僕の好きな先生」だった。「タバコ〜を吸いながら、いつでもつまらなそ〜うに・・・」から始まる、あの曲である。 というのは、中学校にその先生と重なる美術の先生がいたからだ。風貌が、はげ頭をトレードマークにしていたコメディアンの「デンスケ」に似ていたので、デンスケとかデンちゃんと呼ばれていた。ひたすら絵を描かせたり粘土細工をやらせたりする先生で、授業中にどもってしまって途中で悪い生徒に言い負かされ、そのまま授業が終わってしまったこともあった。職員室が嫌いで、いつもホコリっぽい美術室でタバコを吸っていた。 うだつの上がらない先生だったが、絵を描かせたらものすごくうまかった。昔は、有名な絵描きだったが、どんな理由があったか分からないが、肩書きも名誉も家族も捨てて田舎の中学校の美術の教師になったという噂があった。今でも同窓会に来てくれるが、抜群に人気がある。 1972年のヒット曲だそうだ。この曲を聴くたびに、デンスケのこと、中学時代のことを思い出す。何十年も私の記憶の中で生きている。私にとっては非常に貴重な曲である。ありがとう。

ケセラセラ

知人のブログに「ケセラセラと生きよう」と言うことが書いてあった。ケセラセラの語感が面白いので調べてみた。同名の曲を懐メロでペギー葉山などが歌っていたが、元々はアメリカの女優のドリス・デイがヒッチコック映画「知りすぎていた男」(1956年)で歌った曲である。 Que sera, sera ケセラセラ Whatever will be, will be 何事もなるようになるのよ The future's not ours to see 未来のことなど予測できないわ Que sera, sera ケセラセラ What will be, will be 自然の成り行き次第よ (出典 http://mizumizu.jp/queserasera/archives/2004/1126004137.php) アメリカの歌だが、いかにも陽気なスペイン人が考えそうな歌詞である。くよくよ考えても仕方がない。それよりも、現実を見つめて前向きに楽しく生きて行こうと言っている。この曲がもう一度聞きたくなった。