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▶ネットで覆った競艇の場外売場の建設

金沢八景の駅を出て、横断歩道で国道16号線を渡った所に、真鶴会館というレストランが入っていたビルがある。今は、真鶴会館を経営していた相生も出てしまって、1階でケンタッキーだけが営業している。ケンタッキーも8月一杯で閉めるようだ。そのビルが老朽化して取り壊しになる。 その跡地に、ボートピアという日本財団がやっている競艇の場外売場ができるということが発覚した。どうやら、近隣だけで話し合いが進んでいて、少し離れた住民や教育機関には内緒で進められていたらしい。近隣の商店は賛成している人もいたらしい。

 その4回目の説明会が8月27日に瀬戸の集会所で行われるということがネットで広まった。その結果、ずいぶん、たくさんの人が集まったらしい。高校や大学もあり学生の通り道に遊興施設が出来るのは、教育上、好ましくないという理由で金沢八景駅を利用する住民やPTAの反対で白紙撤回されたということがブログで紹介されていた。(http://blog.spiceclub.info/?eid=1066305#sequel) 

 インターネットで調べてみたら、ボートピアについては全国各地で反対運動が起っていて中止になっているところが多い。個人情報の漏えいが問題になっているが、今回は、ボートピアを建設するという情報がネットに漏れたことで覆ったという象徴的な住民運動だ。ネットの普及が住民に力を与えたことは確かだが、逆に悪用してネット上で発言力がある人だけが暴走することは避けなければならない。

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▶上野の金色のアヒルの謎

昼休み、上野を歩いていましたら、京成上野駅の近くにある金色のアヒルの像が目に止まりました。そこには、川柳の原点「誹風柳多留発祥の地」と書いてありました。平成27年8月に柳多留250年実行委員会と台東区教育委員会の人たちが建てたものらしいのです。樽には「羽のある いいわけほどは あひる飛ぶ」という川柳が彫られていました。 Googleで調べましたら 誹風柳多留(はいふうやなぎたる) は、1765(明和2)年から1840(天保11)年まで毎年刊行されていた川柳の句集だそうです。 このアヒルの句は「木綿」と号した誹風柳多留の編者の 呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし) の作ということでした。呉陵軒可有という奇妙な名前は「御了見可有」という慣用句をもじった名前で「堪忍して下さい」という意味があるそうです。句会で、いつも賞品をさらってしまう人で「な~んだ、またあんたかね」という軽い羨望と嫉妬の声に、「ご了見、ご了見」と答えていたところから、この名前がついたと言われます。 誹風柳多留と樽をかけて、その上に金のアヒルを置いたものらしいです。樽の謎は解けましたが、問題は、誹風柳多留の中の数ある川柳の中からアヒルの句が何で選ばれたのかということです。 川柳 は、俳句と同じ五七五ですが、俳句には季語や切れ字の約束がありますが、川柳にはそういう規律がなく、かなり自由です。俳句が自然や風景を詠うことが多いのに比べて、 川柳は題材の制約がなく 、人の暮らしや出来事、人情までも扱われます。 そのため、政治批判、博打、好色など風紀を乱すとされた句も詠まれて、お上から忠告された時代もあったそうです。その後、風流、ワビサビを追求する俳句とは違った路線を歩むことになります。会社員の悲哀を詠ったサラリーマン川柳などはその好例でしょう。 「いい家内 10年経ったら おっ家内」( サラリーマン川柳 傑作選より ) そこで、「羽のある いいわけほどは あひる飛ぶ」の句です。鷹のように大空高く飛ぶことができる鳥を俳句だとすると、川柳はアヒル。アヒルだって羽を持っているのだから、言い訳ほどだけど、少しは飛ぶことはできるのだよ、という斜に構えた皮肉を込めた意味だと思います。 記念碑の横の石碑には「孝行を したい時分に 親はなし」の句が彫ってありました。ずばりと真実を突いて、うまいこと言うなと思いました。アヒルにはアヒ

▶吉田兼好は、金沢八景に住んでいた!

 徒然草を最初に読んだのは、横須賀高校の古文の授業でした。最初に読んだのは、第四十一段の「加茂の競べ馬」だったと思います。 木に登って居眠りしながら落ちそうになって見物しているお坊さんをバカにする人を叱るという話だったと思います。 まったくチンプンカンプンでした。 人はいつ死ぬかもしれないのだから、ここで見物している貴方たちも、あのお坊さんと同じなんだよ、と人生の無常を諭す話だったんですね。こんなこと、十五、六の高校生に分かるはずがありません。 吉田兼好は、京都の有名な神社の神官を世襲する名家に生まれ、若い頃は宮仕えをしていたのですが、煩雑な人間関係に嫌気がさして三十歳くらいで出家したと言われています。  この兼好が、横須賀にも近い金沢八景の近くに住んでいたということは、前から聞いていたのですが眉唾ものだと思っていました。しかし、色々と調べてみると、どうやら本当らしいのです。 【 状況証拠1】 徒然草 第三十四段 甲香 ( かひこう ) は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし 出  でたる貝の 蓋  なり。   武蔵国金沢 ( かねさわ ) といふ浦にありしを、所の者は、「へなだりと申し 侍  る」とぞ言ひし。   「武蔵国金沢 ( かねさわ ) といふ浦」というのは、たぶん、今の六浦のあたりだと思います。そこに法螺貝に似た貝の蓋が転がっていて、地元の人は、「へなだり」と言うんだよ、という話です。 上行寺の説明によりますと、兼好の旧居跡が上行寺の裏山の一画にあったと伝えられています。 今は埋め立てられていますが、上行寺から 六浦は当時は、目の前でした。ここで兼好が 法螺貝に似た貝の蓋を見た可能性は大です。 【 状況証拠2】 徒然草 第百十九段 鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。  かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。  兼好が住んでいた上行寺から鎌倉までは、朝比奈を越えれば歩いて1時間チョットです。兼好が鎌倉に行って、年寄りの話しを聞いていたとしても不思議で

▶ ピクサー映画「リメンバー・ミー」を観て感じたこと

「リメンバー・ミー」の再放送を観ました。2017年にピクサー・アニメーション・スタジオが制作した子ども向けのアニメーションです。大人にとっても良い映画でした。この時期にこの映画を流したのは何らかの意図を感じました。(2022年3月4日 廣瀬隆夫) キエフの聖アンドリーイ教会 ミュージシャンを夢見るギターが好きな少年ミゲルが、死んで骸骨になった先祖たちのいる「死者の国」に迷い込んで不思議な冒険をするというお話です。死者の国というのは、いわゆる天国のことです。 「リメンバー・ミー」は死という重いテーマを扱っています。そこに「二度目の死」という設定が出てきます。普通の死が肉体の死だとすれば、「二度目の死」は精神の死です。生きている人の記憶から、天国に行ってしまった人のことが忘れ去られたときが「二度目の死」となります。「二度目の死」が訪れると天国に存在できなくなり、その人は、木っ端みじんに消滅してしまうのです。「二度目の死」のエビデンスとして、映画では死者の写真が、家のどこにも飾られていないこととしています。 この映画に出てくる「死者の日」には家族や友人たちが集い、故人への思いを馳せて語り合います。日本では、春と秋にお墓参りをする「お彼岸」があり、夏には故人の魂が戻ってくるという「お盆」があり、一回忌、三回忌、七回忌などの「年忌法要」があります。自分という存在は自分だけで成り立っているのではなく、連綿と続く父母、祖父祖母・・・という家族が自分をこの世界に生んでくれたからだということを忘れないことは大切なことです。「死者の日」や「お彼岸」「お盆」という行事は、肉体が滅んだとしても、人の精神は何らかの形で残っていき、それが新たな未来の糧になることを忘れないためにあると思います。 映画のタイトルが「リメンバー・ミー ⇒ 私を覚えていて」であるのは、そのことを直接的に伝えたいからだと思います。音楽も、映画も、写真も、その人が存在していたことを後世に残すためのものです。人々が忘れずに思いを伝えていけば、たとえ肉体が滅んでも心はつながっていきます。思いをつなげることで家族の絆が一層強固なものになります。この映画はここを感動的に描いています。 夢を追いかけ自分らしく生きる少年ミゲルを応援し、家族も大切にして行く、伝統と新しい生き方は対立しない、むしろ、家族との歴史があってはじめて、自分ら