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モンブランとパソコン

テレビのジパングという昼の番組で、万年筆の特集をやっていた。 作家の中には、モンブランの愛用者は多いらしい。 ペン先には、4810という番号が書いてあるが、 山のモンブランの標高の数字ということを聞いた。 作家がモンブランを使う理由は、機能性にあるらしい。 確かに、インクが詰まって出なくなることは少ない。 書き味もさることながら、使いたい時に、いつでもすぐに使えるというのが 万年筆に与えられた大きな使命だ。 それに比べて、パソコンと言うのは、筆記具としては失格である。 何かを思いついても、立ち上がるまで、数分かかる。 その頃には、良いアイデアはどこかに吹き飛んでしまうだろう。 色々な機能はいらないが、電源を入れるとすぐに使えるパソコンが出て欲しい。 情報家電と言うものは、そんなものになるのではないかと思う。

散歩で出会った老人

会社の近くに潮風の散歩道という運河沿いの小道がある。 天気の良い昼休みには、ぶらぶらと歩いている。 少し前は、コブシの白い花がきれいだった。 今は、桜が見頃だ。 避難階段に、老人が杖を放り出して、ひなたぼっこをしていた。 近くを通りかかると、独り言のように話しかけてきた。 「私は、ずいぶん年を取ってしまった。歩くだけで、こんなに疲れるとは、情けないものだよ」 年齢を聞いたら八十九歳ということだった。 「この辺は、昔は全部海だったんだよ。戦後埋め立てられたんだ」 そうなんですか、と相槌を打つと老人は話しだした。 「戦争の時、空襲でみんなやられたんだ。ここまで逃げてきて、海に飛びこんだものだけが助かったんだ」 「大変なことが、あったんですね」 「運良く、うちの家族は、全員、助かった。そのあとに、東陽1丁目に移り住んだんだ」 老人は、明らかに話し相手を捜していた。 「東陽1丁目は、昔は遊郭だったんだよ」 「そうなんですか」 確かに木場のあたりに、そんな風情を残した所がある。 「遊郭と赤線の違いを知っているかね」 「えっ、違うんですか?」 「遊郭は、国の管轄だったんだよ。だから、花魁が逃げると警察が日本中探し回ったものなんだ」 「赤線は違うんですか?」 「マッカーサーが遊郭をつぶした後に戦後出来た赤線では、そんなことはなかったんだよ」 老人の話は、続いた。 話をしている時の顔を見ると、最初にであったときに比べて生き生きしていた。 とても九十歳に近い老人には思えなくなった。 時計を見ると午後が始まる1時にあと5分と迫っていた。 もっと聞いていたかったが、そろそろデスクに戻らねばならない。 「今日は、時間になりましたので、失礼します」 「残念だね。私は、東陽1丁目でクリーニング屋をやっているんだ。隣は、亀の湯という銭湯だ。 息子が同じ町内で寿司屋をやっているから、良かったら寄ってくれ」 軽く会釈をして分れた。 昔の人は、この老人のように、初対面の人とも気軽に会話をしていたのだろうか。 明治か大正にタイムスリップしたような昼休みだった。

ホワイトプラン

番号ポータビリティが始まって、かなり経つが、私も、その恩恵にあずかることになった。 ドコモの携帯を長年使ってきたが、最近のことが分からないので、近くの携帯ショップに聞いてみた。 今回の乗り換えの目的は、女房も携帯を持ちたい、月額の費用を減らしたい、というものだった。 どこでも、ソフトバンクのホワイトプランをすすめられた。どうやら、通話とメールのみだと、このプラン(980円で時間指定の通話、メールが使い放題)がいちばん安いらしい。 ついに、FOMAから、ソフトバンクに乗り換えることになった。 結果は、大満足。1台のドコモからソフトバンク2台の使用料を引いてもおつりがくる。しかも、使い勝手は断然向上している。 女房は、デカ文字対応のNEC製、私は、薄型のSAMSUNG製の機種を選んだ。 使っていて感じたことは、これは、すでに小さなパソコンだと言うことだ。 アップルが携帯電話に参入したのがわかった。何十年か前に、パソコンに出会って夢中になった感じが蘇ってきた。 アップルの携帯が日本でも売られたら、多分、買うだろう。それが、ホワイトプラン対応になればもっと良い。

林住期

3月いっぱいで、昔からの同僚が50歳の節目で会社を去ることになった。 子どもたちが独立したこと、母親の介護が必要になったことが 主な理由らしい。次の勤め先は、まだ、決めていないのだという。 50歳を過ぎて、何をやろうかという話になった時に、 五木寛之が書いた「林住期」と言う本の話になった。 インドのヒンズー教の考え方では、人生を25年ずつに区切って、 最初の25年が学生期、次の25年が家住期、 そして、50を過ぎてからの25年を林住期、 残りの百歳までの25年を 遊行期と呼んでいるのだそうだ。 学生期は、勉強して知識や技術を身につける時期、 家住期は、仕事をして結婚し子どもを育て社会のために働く時期、 林住期は、ボランティアなどをして社会に還元する時期、そして遊行期こそが、自分のために好きなことができる 人生で最も輝かしい時期だというのである。 この話をしたあとに、同僚は、とにかく、これから 好きなことを探してみたいと言って去って行った。 このインドの人生100年説から考えると、 50というのは、単なる折り返し地点である。まだまだ楽しいことがたくさんある。林住期を経て、遊行期という人生の収穫時期に備える期間だと考えると、これからの人生が楽しくなってきた。

桜の開花

春の一大イベントが迫ってきた。 これなくしては、日本の春は始まらない。 それに気象庁がとんだミソをつけてしまった。 開花の時期を間違えた、という。 間違えた事は、どうってことはない。 その理由が問題だ。 深々と頭を下げたが、その後がいけない。 コンピュータのせいにした。 大工が家の出来を問われて、 「かんな」や「のこぎり」が悪かったと言うだろうか。 潔く、私の力量が足りなくて間違えました、 と言ってもらいたかった。 気象庁が、何と言おうと、時がくれば 桜は、花を咲かせ、潔く散っていくだろう。

彼岸

お墓参りに行ったら、随分、賑わっていた。 暑さ寒さも彼岸までというが、春の気配を感じた。 啓蟄(けいちつ)という言葉がある。 虫が這い出すという意味だが、 これも、春の訪れを言う言葉だ。 ふと、足元を見ると、オオイヌノフグリの小さな花が咲いていた。 冬があるからこそ、春が愛おしい。 人の身勝手で温暖化が進んでいるという。 一年中、適温になったら過ごしやすいだろうが、 寒く厳しい冬が無くなったら、春の喜びもないだろう。 冬は寒い方が良い。 夏は暑い方が良い。

漱石の猫

漱石の猫は、文庫本でも500ページを超える長編である。書き始めた時は、短編のつもりだったらしい。 「我が輩は猫である。・・・」で始まる冒頭部分は名調子で読みやすいが途中で挫折していて最後まで読めなかった。 しかし、読み返してみると、中盤以降が実に面白い。漱石が何を考えて、何をやっていたのかが良くわかる。これは、日記のようなものだと思った。 小説のネタに行き詰まって、日常の生活を猫に語らせると言うアイデアが出た時に、この小説はほとんど出来上がっていたのではないかと思う。 角川文庫版を読んでいるが、僅かに400円で、これほどの娯楽が手に入ると思うと嬉しくなった。