3月いっぱいで、昔からの同僚が50歳の節目で会社を去ることになった。
子どもたちが独立したこと、母親の介護が必要になったことが
主な理由らしい。次の勤め先は、まだ、決めていないのだという。
50歳を過ぎて、何をやろうかという話になった時に、 五木寛之が書いた「林住期」と言う本の話になった。
インドのヒンズー教の考え方では、人生を25年ずつに区切って、
最初の25年が学生期、次の25年が家住期、
そして、50を過ぎてからの25年を林住期、
残りの百歳までの25年を
遊行期と呼んでいるのだそうだ。
学生期は、勉強して知識や技術を身につける時期、
家住期は、仕事をして結婚し子どもを育て社会のために働く時期、
林住期は、ボランティアなどをして社会に還元する時期、そして遊行期こそが、自分のために好きなことができる
人生で最も輝かしい時期だというのである。
この話をしたあとに、同僚は、とにかく、これから
好きなことを探してみたいと言って去って行った。
このインドの人生100年説から考えると、
50というのは、単なる折り返し地点である。まだまだ楽しいことがたくさんある。林住期を経て、遊行期という人生の収穫時期に備える期間だと考えると、これからの人生が楽しくなってきた。
昼休み、上野を歩いていましたら、京成上野駅の近くにある金色のアヒルの像が目に止まりました。そこには、川柳の原点「誹風柳多留発祥の地」と書いてありました。平成27年8月に柳多留250年実行委員会と台東区教育委員会の人たちが建てたものらしいのです。樽には「羽のある いいわけほどは あひる飛ぶ」という川柳が彫られていました。 Googleで調べましたら 誹風柳多留(はいふうやなぎたる) は、1765(明和2)年から1840(天保11)年まで毎年刊行されていた川柳の句集だそうです。 このアヒルの句は「木綿」と号した誹風柳多留の編者の 呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし) の作ということでした。呉陵軒可有という奇妙な名前は「御了見可有」という慣用句をもじった名前で「堪忍して下さい」という意味があるそうです。句会で、いつも賞品をさらってしまう人で「な~んだ、またあんたかね」という軽い羨望と嫉妬の声に、「ご了見、ご了見」と答えていたところから、この名前がついたと言われます。 誹風柳多留と樽をかけて、その上に金のアヒルを置いたものらしいです。樽の謎は解けましたが、問題は、誹風柳多留の中の数ある川柳の中からアヒルの句が何で選ばれたのかということです。 川柳 は、俳句と同じ五七五ですが、俳句には季語や切れ字の約束がありますが、川柳にはそういう規律がなく、かなり自由です。俳句が自然や風景を詠うことが多いのに比べて、 川柳は題材の制約がなく 、人の暮らしや出来事、人情までも扱われます。 そのため、政治批判、博打、好色など風紀を乱すとされた句も詠まれて、お上から忠告された時代もあったそうです。その後、風流、ワビサビを追求する俳句とは違った路線を歩むことになります。会社員の悲哀を詠ったサラリーマン川柳などはその好例でしょう。 「いい家内 10年経ったら おっ家内」( サラリーマン川柳 傑作選より ) そこで、「羽のある いいわけほどは あひる飛ぶ」の句です。鷹のように大空高く飛ぶことができる鳥を俳句だとすると、川柳はアヒル。アヒルだって羽を持っているのだから、言い訳ほどだけど、少しは飛ぶことはできるのだよ、という斜に構えた皮肉を込めた意味だと思います。 記念碑の横の石碑には「孝行を したい時分に 親はなし」の句が彫ってありました。ずばりと真実を突いて、うまいこと言うなと思いました。アヒルにはアヒ
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