どんな悪いことが起こっても、新年になれば状況が変わって全てが良くなると思わせるのがお正月のマジックだ。去年は百年に一度の不況と言われていたが、年を越えるだけで経済が好転するとは思えない。でも、それを信じて初詣や厄払いに繰り出していく。どんな時代になっても人間なんて弱いものだ。
お正月気分がようやく抜けた夜の静寂を破るように実家から電話がかかってきた。時間がじかんだったので何があったのかと心配した。聞くと今年の私の人生はお先が真っ暗だと言うのだ。新聞の神社の広告に載っていたのだと言う。神社の営業戦略ということはわかっていたが親孝行と鎌倉見物を兼ねて八幡様に厄払いに行くことにした。
1月11日だったので成人式の着物すがたが多かった。うだつの上がらない人が多いと想像していたが意外に裕福そうな家族連れが多かった。厄払いには賽銭よりお金がかかるので、本当にお金がなくなってしまった人は来ないのかと思った。リピートのお客も多いと考えると、ここのお払いは効くのかもしれないと期待がもてた。申込書には住所、氏名、年齢、生年月日などを書き、お願いしたい項目に丸をつけるようになっている。厄払いのついでに家内安全や交通安全も頼んでおこうかと女房に相談したら、「お願いの数だけお金がかかるのよ」と一喝された。
金額は、5000円、7500円、1万円・・・と自分で選ぶようになっている。買う人が値段を決める商品なんて聞いたことがない。値段によって効きかたが違うわけでもないだろうと思って迷わずに5000円に丸をつける。受付を済ませるまでに30分くらい並ばせられて、そのあとに本殿に上って待合室で名前を呼ばれるのをまた待つことになる。近くに賽銭箱があって、投げ込まれたお金の音がやかましい。こちらは、そんな、はした金じゃないんだ、と変な優越感にひたる。不況の影響もなく正月の神社には金が飛び交っていた。
呼ばれた頃には新書本が1冊読めてしまった。トータルして3時間以上待たされたことになる。本殿には百人を越える欲深い人たちが座っていた。宮司の言われた通りに頭を下げたり上げたりする。会社のおえらいさんたちも、ここでは若い宮司にあごで使われている。代表の人が前へ出てたまぐしを奉納した。どういう基準で代表が選ばれたのか興味があった。
祝詞の最後に全員の名前が呼ばれた。自分の名前が呼ばれると安心してそっと胸をなでおろす。その人が何のお願いで厄払いに来たのかも同時に読み上げられる。確かに神様が願いを承りましたということなのだろう。それなら金額も読んでくれたら面白いのにと思った。
厄払いというお願いは厄年の人だけしか使えないらしく、私のように、厄年でもないのに来た人は、開運厄払いということになるらしい。厄も払えてさらに運も開けるというのはありがたい。厄払いの人は意外に少なかった。家内安全や商売繁盛の他に世界平和という願いをしている人も少しいた。
結局、厄払いのために半日がつぶれてしまった。半日つぶしてまで厄払いに行った自分を誉めてやりたかった。成人式の着物姿の女性も見れたし鎌倉見物もできたし旨い昼飯も食えたし本も読めた。しかも、これで今年一年が良い年になるのかと思うと安いものだと思うことにした。
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