暮れも押し詰まった十二月二十九日のことだった。母の病院の帰りに、上大岡から京急に乗った。上大岡からどっと乗り込んだ。人の波に流されるように空いている席に座った。隣には大きな紙袋を持った女性が座っていた。私の方を気づかって紙袋を自分のひざの上に置いたりして席を広げてくれた。
「十分、座れますから良いんですよ。年末になると買い物が増えますからお互い様ですよ」
すると意外な返答が帰ってきた。
「そうじゃないんです。母が老人ホームに入っているんで荷物を届けに行くんです。母は良いんですけど、父が家にいて夜中に大声を出すんです。ぼけてくれればいいんですけど、体は元気で、昼間は頭もしっかりしてるから預かってくれる所がないんです」
初対面の人からずいぶんプライベートな話を聞いてしまった。
「今は、お金さえ出せば何でもやってもらえるけど、人の温かさってものがなくなったような気がしますね。本当は、老人ホームなんてなくても、みんなで面倒を見れたら良いんでしょうが、今は出来ないわよね」
私の母の老人ホームを探しているところなので複雑な心境になった。私の祖父も祖母も九十まで長生きしているが最後まで老人ホームには入らなかった。その時代は家で見るのが当たり前だった。今では、それが当たり前でなくなってしまった。一人でがんばって出来ることではない。「今は出来ないわよね」という言葉にはそんな意味が含まれていると思った。
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