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▶ロシアの言葉・文学・文化を今、あるいはこれから学ぶ皆さんへ



(この文章は、日本ロシア文学会で公開されていたものに英語訳をつけたものです)
(This text is an English translation of what was published at the Japan Association for the Study of Russian Literature)
Japan Association for the Study of Russian Literature Homepage
https://yaar.jpn.org/
https://yaar.jpn.org/?action=common_download_main&upload_id=1769

▶ロシアの言葉・文学・文化を今、あるいはこれから学ぶ皆さんへ
To everyone who is learning Russian language, literature and culture now or in the future

今回のロシア軍によるウクライナ侵攻で、ロシア語やロシア文学・文化を学ぶ、あるいはこれから学ぼうとしている皆さんは心を痛めているのではないかと思います。「なぜ、自分はこんなことをする国の言語や文化を学ぶのか」と悩み、その選択を後悔している人もいるかもしれません。
I think that the invasion of Russia by the Russian army has hurt everyone who has learned or is about to learn Russian language, Russian literature and culture. Some may regret their choice, wondering "Why do I learn the language and culture of a country that does this?"

ロシアの言葉・文学・文化は、もちろん、「ロシア」という場と強く結びついています。ウクライナに侵攻したロシア政府はおそらく今後も、ロシア語やロシア文学・文化を、「ロシア国家」の大きな要素として利用しようとするでしょう。実際、国家というものが古来、言語や文化をプロパガンダに利用し、自分たちの道具としようとしてきたことは、歴史が示しています。
Of course, Russian language, literature and culture are strongly linked to the place of "Russia". The Russian government that invaded Ukraine will probably continue to use Russian language, Russian literature and culture as a major element of the "Russian state". In fact, history shows that nations have long used language and culture for propaganda and tried to use them as their own tools.

しかし、ロシア語やロシア文学・文化を学ぶことは、現在、多くの国々から当然の非難を受けているロシア政府の軍事侵攻を肯定することを意味してはいません。むしろ、ロシア語で書かれた文学や思想の多くは、昔から、権力と権力が生み出す不条理に抗し、これを批判してきました。存続のために多くの資金を要する演劇やバレエ、映画や音楽などは、体制の支援を受けながらも、国家や権力の枠組に収まらない人間の喜びや笑い、悲しみや怒り、そして美を表現してきました。
However, learning Russian language and Russian literature and culture does not mean affirming the Russian government's military invasion, which is now being deserved by many countries. Rather, much of the literature and thought written in Russian has long criticized power and the absurdity it creates. Theater, ballet, movies, music, etc., which require a lot of money to survive, have expressed the joy, laughter, sadness, anger, and beauty of human beings who do not fit into the framework of the nation or power, while receiving the support of the system. I did.

ロシアの言葉・文学・文化は、国家や体制の枠を越え、より広く、深く、多様です。近代日本をはじめ世界の文学に大きな影響を与えてきたツルゲーネフやドストエフスキー、トルストイやチェーホフは、ロシア国家のものでしょうか。ロシア軍の侵攻を受け、傷ついているウクライナに住むロシア人、ロシア語を母語とするウクライナ人は、侵攻してくるロシア軍のことに責任があるでしょうか。今回の侵攻に対してロシア国内外で挙がっているロシア語での反対の声を、ロシアの政府と同一視することができるでしょうか。
Russia's language, literature and culture transcend national and institutional boundaries and are broader, deeper and more diverse. Are Turgenev, Dostoevsky, Tolstoy and Chekhov, who have had a great influence on the literature of the world including modern Japan, belong to the Russian state? Are Russians living in Ukraine who have been injured by the invasion of Russian troops, and Ukrainians whose native language is Russian, responsible for the invading Russian troops? Can the Russian-language opposition to this invasion be equated with the Russian government?

答は否です。
The answer is no.

ロシアに限らず、あらゆる言語や文学や文化は本来、国家から自律した営みです。権力に簒奪(さんだつ)されるとき、文化や思想は力を失います。だから私たちは、国家や体制よりも広く大きな、文学や学問の場に拠って立つのです。さきほど、「ロシアの言葉・文学・文化は、ロシアの国家や体制を越え、より広く、深く、多様です」と書きました。しかし、同時に、それらはとても脆(もろ)い。現在、ロシア国内で進行しているのは、剥(む)き出しの暴力、言論統制、弾圧であり、文化人、学者、市民の自由な活動が制限されています。まさに今、本来語られるはずだった多くの言葉が奪われ、失われつつあります。そして、ロシアという国は国際社会で孤立を深めています。
Not limited to Russia, all languages, literature and cultures are essentially autonomous activities from the state. Culture and thought lose power when they are deprived of power. That is why we rely on literary and academic venues that are broader and larger than nations and institutions. Earlier, I wrote, "Russian language, literature, and culture transcend Russian nations and systems and are broader, deeper, and more diverse." But at the same time, they are very fragile. Currently, what is going on in Russia is bare violence, media blackouts and crackdowns, limiting the free activities of cultural figures, scholars and citizens. Right now, many words that were originally supposed to be spoken are being robbed and lost. And Russia is becoming more isolated in the international community.

そのような二重の疎外に瀕しているロシア語の話し手たち、ロシア文学・文化の担い手たちを、さらなる孤独へと追いやってはなりません。コミュニケーションの回路を保ち、彼らと対話していかなければなりません。「国家」によって急速に分断されつつあるように見える現在の世界で、その枠組を超え、互いにつながっていこうとするのは、私たち自身にとっても大切なことです。
We must not drive such double alienated Russian speakers, the bearers of Russian literature and culture, into further loneliness. You have to keep the circuit of communication and interact with them. In today's world, which seems to be rapidly being divided by the "nation," it is important for us to go beyond that framework and try to connect with each other.

今日の状況でロシアの言葉・文学・文化を学ぶことの意味を、私たちは、このように考えています。(2022.3.15 日本ロシア文学会)
This is how we think of the meaning of learning Russian language, literature and culture in today's situation. (2022.3.15, Japan Association for the Study of Russian Literature)


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