スタッフとして町内のお祭りに最初から最後まで関わった。我が町内には、屋台と2台の神輿がある。一台は子ども神輿だ。この屋台と神輿を人力で動かして町内を一周りする。効率だとか経済だとかを考えたら全く不合理な催しだ。トラックで回れば10分もかからない距離だ。それが何百年も続いている。お祭りの準備を手伝っていて、無人自動車が実用化されようとしている時代に何でこんなムダなことをやっているのか。ずっと不思議に思っていた。
お祭りの宵宮には、綿菓子や氷、焼きそばなどの屋台がでる。これが子どもたちの楽しみだ。でも、こういう催しではゴミが出る。最初は、一つのゴミ袋になんでもかんでも捨てる様になっていた。でも、結局最後は大人たちが分別するので、最初から分別して捨ててもらおうということにした。普通ごみとプラスチックごみの2つのビニール袋を用意した。それでも、最初は、なんでも捨ててしまう子どもがいたが、少しずつ自分で分別して捨てるようになった。しばらくすると、ルールを守らない子どもを注意する子どもが現れた。それが自分の仕事とばかりにゴミの分別を進めてくれた。
今年は、地元の中学生、大学の陸上部の若い人たちが大勢参加してくれた。子どもたちも山車をひいてくれた。若い人は、疲れ知らずでとにかく元気がいい。途中の休憩所でも、おにぎりやらパンやらをむしゃむしゃ食う。見ていて気持ち良い。一人の中学生に聞いてみたら、お祭りは楽しいという。何が楽しいのかというと、みんなが力を合わせれば、こんな重い神輿が運べるのがすごいし、みんなで力を合わせて一つのことをできるのが楽しいという。たぶん、休憩時間に友だちと無駄話をしながら、焼鳥だのコロッケだのを食べるのも楽しみなんだろう。
小学1、2年くらいの小さい子が4人、屋台をひいていた。一人が町内が用意した子ども用のメガホンを持っていた。わっしょい、わっしょい、とかわいい掛け声が響く。メガホンの奪い合いで喧嘩になりそうになった。民主的に決めようと、じゃんけんをやることになった。最初にメガホンを持っていた子がビリになった。負けた子は、ふてくされてやる気を無くしていた。順番にメガホンを持ち、掛け声をかけるのだが、みんな飽きてしまい、結局、最初に持っていた子にメガホンが戻った。その後は、一人でメガホンを独占しても文句を言う子はいなくなった。
このように考えると、お祭りというのは、大人にとっては楽しみの場、子どもにとっては学びの場なのではないかと思った。老人たちは、元気な子どもたちを見ることで、若かりし頃の自分を思い出してエネルギーをもらうことができる。子どもたちは、力を合わせれば、出来ないと思っていたことができるということを学ぶ。社会生活を営んでいくためのルールを学ぶことができる。これが、お祭りが何百年も続いている理由ではないかと一人で納得した。(20190715)
お祭りの宵宮には、綿菓子や氷、焼きそばなどの屋台がでる。これが子どもたちの楽しみだ。でも、こういう催しではゴミが出る。最初は、一つのゴミ袋になんでもかんでも捨てる様になっていた。でも、結局最後は大人たちが分別するので、最初から分別して捨ててもらおうということにした。普通ごみとプラスチックごみの2つのビニール袋を用意した。それでも、最初は、なんでも捨ててしまう子どもがいたが、少しずつ自分で分別して捨てるようになった。しばらくすると、ルールを守らない子どもを注意する子どもが現れた。それが自分の仕事とばかりにゴミの分別を進めてくれた。
今年は、地元の中学生、大学の陸上部の若い人たちが大勢参加してくれた。子どもたちも山車をひいてくれた。若い人は、疲れ知らずでとにかく元気がいい。途中の休憩所でも、おにぎりやらパンやらをむしゃむしゃ食う。見ていて気持ち良い。一人の中学生に聞いてみたら、お祭りは楽しいという。何が楽しいのかというと、みんなが力を合わせれば、こんな重い神輿が運べるのがすごいし、みんなで力を合わせて一つのことをできるのが楽しいという。たぶん、休憩時間に友だちと無駄話をしながら、焼鳥だのコロッケだのを食べるのも楽しみなんだろう。
小学1、2年くらいの小さい子が4人、屋台をひいていた。一人が町内が用意した子ども用のメガホンを持っていた。わっしょい、わっしょい、とかわいい掛け声が響く。メガホンの奪い合いで喧嘩になりそうになった。民主的に決めようと、じゃんけんをやることになった。最初にメガホンを持っていた子がビリになった。負けた子は、ふてくされてやる気を無くしていた。順番にメガホンを持ち、掛け声をかけるのだが、みんな飽きてしまい、結局、最初に持っていた子にメガホンが戻った。その後は、一人でメガホンを独占しても文句を言う子はいなくなった。
このように考えると、お祭りというのは、大人にとっては楽しみの場、子どもにとっては学びの場なのではないかと思った。老人たちは、元気な子どもたちを見ることで、若かりし頃の自分を思い出してエネルギーをもらうことができる。子どもたちは、力を合わせれば、出来ないと思っていたことができるということを学ぶ。社会生活を営んでいくためのルールを学ぶことができる。これが、お祭りが何百年も続いている理由ではないかと一人で納得した。(20190715)
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