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葉っぱ掃除の効用

この季節になると、山から葉っぱが落ちてくる。葉っぱはアスファルトで固められた道の上を舞って、しまいには行き場を失って山裾に溜まっていく。夏の暑いときは何とも思わなかったが、カレンダが残りが少なくなるとともに気になりだした。 先週の日曜日、若い二人の女性が近くの空き地のゴミを拾っていた。「ごくろうさま」と声をかけると、こちらの方を少し見て、顔を見合わせて笑っていた。二人の姿が妙に楽しそうに見えた。今まで、掃除なんて進んでやろうとは思ったことがなかったが、やってみたくなった。 新しいホウキとちりとりを近くの金物店で買った。それは、祖母が使っていたのと同じ型のホウキだった。祖母は、次から次へと落ちてくる葉っぱを飽きもせずに毎日掃いていた。おかげで、いつも道はきれいだった。 作業が進むにつれて、体中がぽかぽかし始めた。ジャンバーを脱いだが、それでも暑くて結局、セーターも脱いでしまった。 ザーザーというホウキの音を聞きながら掃いていると頭が澄んでくるように感じた。ギリシャ時代に、レンズを磨きながら物語の構想を練った作家がいたそうだが、単純作業と言うのは考えることに適しているのかもしれない。 掃いていると、道を通る人が、大変ですねえ、とか、精がでますねえとか、声をかけてくれる。近くに住んでいるお年よりは、みんな葉っぱ掃除が日課なのだそうだ。アパートの前は、掃除する人がいないので汚れ放題だそうだ。僕の家の前も、そんな噂が立っていたのかもしれない。 10メートルくらいの距離だが、掃き終えるまでに1時間くらいかかった。終わった時は、汗だくだった。葉っぱ掃除は、意外に運動になる。終わってみると、葉っぱが片付いたと言うだけでなく、気持ちがさっぱりした。世の中の役に立っているという思いもちょっぴりあった。 最近、掃除を奨励している会社が多いそうだ。トイレ掃除を社長が率先してやっている会社もあるらしい。そんな会社は業績が伸びているのだという。空き地のゴミ拾いをしていた二人の女性も、祖母も、近くのお年よりも、みんな、この効用を知っていて、進んでやっていたのではないかと思った。掃除は、エントロピーの増大を阻止する実に人間らしい行為なのではないかと思った。 欧米人が日本に来たとき、ゴミが落ちていないので驚いたと言う。日本人は、古くから健康法として精神のケアとして、掃除をやっていたのかも知れない。

求めない

日本人は、戦後のモノのない時代から、ずっと豊かさを求め続けてがんばってきた。気がつくと求めれば何でも手に入る時代になった。小学生の娘は誕生日のプレゼントに欲しいモノがないと言う。それほど、モノがまわりに溢れている。 今、加島さんが書いた「求めない」が売れているそうだ。タオイストで、大学を退官して山の中で仙人のような生活を送っている人である。浮き世のしがらみを捨てて山に入ったのだから、彼の生活自体が、求めないものなのであろう。 ---------------------------------------- 求めない すると心が静かになる 求めない すると今持ってるものが活き活きしてくる 求めない すると大切なものが見えてくる 求めない するとほんものを探してる自分に気づく 求めない すると求めたとき見えなかったものが見えてくる ---------------------------------------- こういう詩が延々と続いている。 モノが豊かになれば幸せになれると言うことを信じて、がむしゃらに突き進んできた日本人が、青い鳥なんていないと気づき始めたのが、今なのかもしれない。 この本の始めのところで、こんなことも言っている。 ---------------------------------------- あらゆる生物は求めている。 命全体で求めている。一茎の草でもね。 でも、花を咲かせたあとは静かに次の変化を待つ。 そんな草花を少しは見習いたいと、そう思うのです。 ---------------------------------------- 我々は、モノ以外の本当の青い鳥を見つける時期に来ているのかも知れない。

試行錯誤の餅つき大会準備

菩提寺の長生寺で、今年の暮れに餅つき大会をやることが決まった。臼と杵一式は揃えたものの、住職は、餅つきをやったことが無い。そこで檀家の人たちを集めて、予行演習をやることになった。 餅米をいつ磨いだら良いのか、水の加減は、蒸す時間は・・・。この辺は、仏婦のおばあちゃんの知恵が活かされた。買ったばかりの臼はには、すでにヒビが入っていた。聞く所によると、手入れが悪いとすぐに、このようになってしまうということだった。 ゴザを敷いて、その上に臼を置き、合いの手用の桶をセットして準備完了。蒸したての餅米を臼に入れてつき始めたが、合いの手の頭が危ない。杵にぶつかりそうになる。それを遠くで見ていたお年寄りが、血相を変えて近づいて来た。 「合いの手は、杵をつく人のすぐ横でやらないと危ないよ」と注意された。その通りの位置でやってみると、今度は安全につけるようになった。つき上がった餅を台所まで持って行くのが一苦労。試行錯誤して、鍋に水をひいてそこにつき上がった餅を入れて運ぶのが良い、ということになった。 あんこ餅やきな粉餅にして食べたが、試しつきにしては、うまくできた。本番は12月16日。それにしても、みんなの楽しそうなこと。とても70,80才のじいさん、ばあさんとは思えない。みんな、生き生きとしていた。本番が楽しみだ。

人生を楽しむ方法

「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」とは、方丈記の出だしだが、川の水が昨日と違うとのは当たり前だ。しかし、これが、なかなか分からない。建物や道路は、何年経っても変わらないし、毎日の生活は、同じことのくり返しに見える。しかし、世の中の全てのものは、常に移り変わっている。 ゴルフ場の芝も生えては枯れるということを繰り返しながら緑を保っている。芝生はずっと同じものがあるように見えるが、一本一本の芝を詳しく見れば、入れ替わっている。人間の細胞も、日々、入れ替わっているらしい。人間の細胞は3ヶ月くらいで全て入れ替わってしまうらしい。3ヶ月前の自分と今の自分は、細胞レベルで見ると別人なのである。庭の芝生と大差はない。 細胞はタンパク質のかたまりで遺伝子に操られている。ガン細胞と言うのは、遺伝子のどこかに傷が付いて分裂が止まらなくなったコントロールができない暴走族のような細胞らしい。新聞の三面の死亡欄を見ると、あんなに元気だったのに何でこんなに早くガンで亡くなってしまったのか、と思うことがある。でも、3ヶ月で体中の細胞が入れ替わってしまうのなら、それも納得できる。 風邪などをひいて調子が悪くなると気持ちが落ち込んでこのまま死んでしまうのではないか、と思うこともある。でも、医者に行くと、すっと憑き物が取れたように直ってしまうことが多い。医者に行こうと言う気持ちになった時点で病気は直っていたのではないかと思う。悪い細胞が入れ替われば病気は直る。これが自然治癒というものなのだろう。 世の中の全てのものが流転する。鴨長明も兼行も何百年前から言っている。これは真理と言って良いだろう。これに反して、今の幸福がずっと変わらないで続いて欲しいと考えること自体が間違っている。 全てのことは、変わるものだと最初から思ってしまえば良い。幸福は、仕合せとも書く。英語ではHappy。どちらも偶然のめぐり合わせという意味だ。幸福がずっと続くことはありえない。幸福だなぁということがあっても、こんなことは長くは続かないと思えば良い。幸福なんて宝くじに当たったようなものと考える。逆につまらないことがあっても、今に良いこともあるさ、と思うことにする。 ローカル線に乗って車窓から遠くの景色を眺める旅人のように、変化を受けいれて、目の前で移り変わっていく景色を楽しむ。そして、それ以上は何も望まない。

横浜だがしや楽校

パシフィコ横浜で開催された「横浜だがしや楽校」に子どもたちと行って来た。入場無料。会場の中は、駄菓子コーナー、ゲームコーナーなどがあり、そこで駄菓子を買ったり工作をしたり簡単なゲームをしたりできるようになっている。 ユニークなのは、普通のお金が使えないということである。会場だけで通用するエコマネーという通貨を使う。エコマネーを手に入れるために、子どもたちはボランティア登録をして働かなければならない。 うちの子どもたちは、饅頭店に派遣された。ユニフォームを着せられて、饅頭を持って売り子になった。「一つ、百円、おいしいよ」と言いながらお客に饅頭を売るのである。30分働くと3枚のエコマネーがもらえる。エコマネーには「1KABAGON」と書いてあった。KABAGONが通貨の単位で校長の阿部進氏のニックネームである。 ここでは、現金をいくら持っていても意味が無い。自分で汗をかいて働かなければ、駄菓子も変えないしゲームもできない。子どもたちは、楽しんで働いていた。働くことはどういうことかを経験できた。一銭もかからないので親にとっても嬉しい。このような催しがあったら、また、参加したいと思った。

二燭電球売ってますか?

家の二燭電球が切れてしまったので、近くの家電量販店に買いに行った。店員に「二燭電球売ってますか?」と聞くと、分からないという返答だった。もう一人に聞いてみたが、良くわからないという。最終的に店長を呼んで聞くと、在庫が無いという答えだった。いつ入ってくるのかと尋ねると、未定ということだった。彼らの対応からは、パソコンや大型液晶テレビ、デジタルカメラなどの複雑で高価な商品は売りたいが、二燭電球などという安いものには興味がないという考えが見え見えだった。 商売のことを考えたら、彼らの対応は当然なのかも知れない。利幅の少ない安い商品は、止めるべきだという方針がでているのかもしれない。しかし、消費者の立場からすると、今は、デジカメより二燭電球の方が重要なのである。それがないと、夜中に真っ暗な中で過ごさなければならないのである。町の電気店で二燭電球を切らしていたら、店員は主人に怒られるだろう。儲かりさえすれば良いという考え方が跋扈している世の中は、実に嫌なものだと思った。

三つのお墓

落ち葉談義も終わって帰ろうとすると、立派なお墓を見ながら和尚さんが話し始めた。 「人を殺めたり、泥棒をしたりした人は、お父さんや、お母さんと同じお墓に入れないんだよ」 「そういう人は、どこに入るんですか?」 「お墓の横に河原で拾って来た石があるだろう。その下に入るんだよ」 「そこの楠の木の横にある棒が立っていますが、それはなんですか?」 「もっと悪いことをした人が入るお墓だよ」 「えっ」 人を殺めたり、泥棒をすることより、もっと悪いことってなんだろうと考えたが思いつかなかった。すると、和尚さんは、また、ゆっくり話し始めた。 「それはね。自殺をした人のお墓なんだよ。自殺は人を殺めたり、泥棒をしたりした人以上にもっと罪深いことなんだ」 「どうしてですか?」 「せっかく、いただいた命を自ら断つと言うことは、自然の摂理に背いている。そして、お父さん、お母さんを悲しませる。友だちや先生も悲しませる。自分だけの問題だと思ったら大間違いなんだよ」 この話は、ある講演会で聞いた話をまとめました。

葉っぱの話

和尚さんが境内の落ち葉を集めていた。 そこへ、少年がふらりと入って来た。小山になった落ち葉をいじって遊んでいたが、突然、話しかけて来た。 「葉っぱって、みんな違うんですね」 「同じものなんてないよ」 「不思議ですね。ムシキングとか、どうぶつの森とかいうゲームもあるけど、みんな同じ形だし、同じように動きますからね」 「自然では、絶対にありえないことだよ」 「ボク、学校でいじめられているんです。チビだから」 少年の足を見ると大きな青い痣があった。 「みんな、違っていて当たり前ということが分からない子どもが増えているんじゃないだろうか。それはね。大人にも責任があるんだ。子どもの遊びを金儲けに利用してしまった。遊べる自然を子どもたちから奪ってしまったんだ」 「周りに広場もないですからね」 「子どもたちもゲーム機やパソコン、携帯電話ばかりいじってないで、身近な自然にもっと接するべきなんだ」 「今度、みんなを連れてきますから、葉っぱの話をしてください」 「わかった。みんなで、焼き芋でもやろうか」

台風の夜

台風の夜、雨の音に眠りを遮られて目が覚めた。急に庭木が心配になって外に出てみた。横殴りの雨が容赦なく吹き付けてきた。点検を終えて戻ろうとして玄関の扉に手をかけたとき、ドドドという音がした。 新聞配達のバイクの音だった。雨合羽を着ていたが、ずぶ濡れだった。悲壮感すら漂っていた。感謝しながらポストから新聞を引き抜いて居間で読んだ。また、政治家の横領の話が出ていた。人間としてどっちが偉いのか、それは明らかなことだった。

PASMO

遅ればせながら磁気の定期からPASMOに変えた。改札を通る時のピィという音と共にゲートが開く軽い感覚が何とも気持ち良い。 読み込みのトラブルが多かった磁気式に比べると、まさに、これがイノベーションと言えるものだと思う。システムを根底からひっくり返してしまった。 ハードディスクも半導体メモリに置き換わって来ている。どちらが高度な技術を使っているかは明らかだ。でも出来ることは同じ。だったら安くて便利な方へ走る。 研究開発して技術を積み上げる時代から便利なものをタイムリーに利用して行く方が勝つ時代になってきた。この便利さを追求する風潮がどこかに空洞化を生み出すのではないかと言う心配も少しある。

こんな終末論

急に夕立が来たのでタクシーに乗った。こんな会話から始まった。 「まるで、スコールみたいですね」 「最近、日本の気候が変わって来たようですね。日本は、亜熱帯になるんじゃないでしょうか」 「でも、時期的には氷河期に向かっているという話もあるんです。氷河期へ向かうと気温が下がってちょうど釣り合う」 「でも、地球温暖化による気温の上昇の方が勝って人類は滅びるんじゃないでしょうかねぇ。近い将来、地球は、部屋の中だけが人の住める環境になるんじゃないかと思いますよ」 「それって、手塚治虫の漫画で見たことがある世界ですね。外出する時は、みんな宇宙服みたいのを着ている」 「結局、過度の便利さの追求が人類をこんな状態にしてしまったんでしょうね」 「どうしたら良いんでしょう」 「・・・」 40度を超える記録的な猛暑。何人もの人が熱中症で亡くなっている。こんな終末論が出て来てもおかしくないほど、日本列島は暑くなっている。

矛盾

掲示板に「蚊のいない街を作ろう」という標語が出ていた。その横には、「蛍の来る川に戻そう」というメッセージが書いてあった。随分、身勝手なものだと思った。蚊だって蛍だって自然の中では平等だ。蚊が住めない所には蛍だって住めない。こんな単純な矛盾に何で気づかないのだろう。 クーラーや自動車のある便利な生活はそのまま続けたい。でも二酸化炭素の排出量を減らして地球の温暖化に歯止めをかけたい。同じような矛盾がまかり通っている。クールビズなんていう変な造語で人の目をそらすのでなく、矛盾を正して、論理的に正しい議論をして行くべきだ。そういう意味でアメリカが二酸化炭素の排出量の削減に消極的なのは、論理的には正しい判断だ。

涼を求めて来た軽井沢での意外な拾い物

先週の金、土で軽井沢に行った。天然のクーラー、軽井沢もさすがに暑かった。東京は35度を超える猛暑だったらしい。 夜、ペンションのオーナーに自作の反射望遠鏡で星を見せてもらった。飾り気のない反射鏡が丸出しの望遠鏡だったが、画像は美しかった。星は、黄色く輝いているだけだと思っていたが赤や青の色がついているのには驚いた。木星の4つの衛星がくっきりと見えた。 夜空の星に比べたら人の一生などほんの一瞬の輝きにすぎない。しかし、今、ここに、星を見る自分がいると言う現実は天文学的に見ても極めて稀なことでもある。一瞬の大切さを気づかせてくれた。涼を求めて来た軽井沢だったが、意外な拾い物をした。たまには喧噪を離れて星を見るのも良いものだ。

熊谷は暑い

天気予報に良く出てくる熊谷。うわさ通り暑い。 息を吸うと熱風が喉にくる。 サウナの中で息をした時の感覚だ。 温度計を探したが見つからなかった。 暑さを売り物にするなら、温度計を町に用意してもらいたい。 それだけでも話の種になる。

侍従川いかだ下り

ふるさと侍従川に親しむ会のイベントでいかだ下りに子どもと参加した。小学生の二人の娘は、侍従川の葦で作った葦舟で下った。私は、五歳になる息子を乗せて手作りのいかだとオール一本で4キロの川下りに挑戦した。 日差しは暑いが川面を通る風は涼しい。クーラーの中より余程、心地良い。下流に行くに従って川幅が広くなり景色がドンドン変わって行く。水が容赦なくいかだに入ってくる。息子は、水が塩っぱくなったと言って海が近いと勇気づけてくれた。気がつくと、平潟湾に出ていた。向かい風が強くなり、最後はサポートのカヌーのお世話になったが、どうにか、目的地の野島公園に辿り着いた。 車ならほんの5分程度の距離だが10時に出発して12時までかかった。手作りの15のいかだは全て完走した。公園で待っていたのは、冷たいビールとソーメンだった。理屈はどうでも良いが、とにかく、うまいビールだった。びりから2番目だったが、いかだペインティングの部で特別賞に選ばれた。自然と子どもたちと健康とビールに感謝した一日だった。

地球温暖化と猫

「我が輩は猫である」の中盤以降に、八木独仙という哲学者が出てきてこんなことを言っている。 「西洋の文明は、先進的だが、限りなく人間の欲望を追求するので、いつまで経っても、不満足だ。日本人は、心を自由にして、限られた境遇の中でも満足していられる。西洋人は、山があったら崩して町を作る。日本人は、動かすことが出来ないものとして山に住む」 今の地球の温暖化という現象は、限りなく人間の欲望を追求する西洋の考え方を押し進めた結果とも言える。漱石は、イギリス留学の時に、100年も先の地球を見ていたのかも知れない。

猫 読了

「我が輩は猫である」をようやく、読み終えた。 かなり、読み応えがあった。 青い鳥文庫にも、日本の名作として載っているが、これは、中高生が読めるものではないと思った。 ホトトギスに明治三十八年(1905年)の1月から翌年の8月にかけて、11回に分けて連載されたものである。イギリス留学で心を病んだ漱石がリハビリのつもりで書いた作品と言われている。 この小説が、ベストセラーになったというのだから、今から100年以上前の明治の人の知識レベルの高さに驚いた。 幕末から文明開化を経て近代国家に移行した日本を見た漱石の苦悩を記録した、一種のブログのようなものだと思った。

モンブランとパソコン

テレビのジパングという昼の番組で、万年筆の特集をやっていた。 作家の中には、モンブランの愛用者は多いらしい。 ペン先には、4810という番号が書いてあるが、 山のモンブランの標高の数字ということを聞いた。 作家がモンブランを使う理由は、機能性にあるらしい。 確かに、インクが詰まって出なくなることは少ない。 書き味もさることながら、使いたい時に、いつでもすぐに使えるというのが 万年筆に与えられた大きな使命だ。 それに比べて、パソコンと言うのは、筆記具としては失格である。 何かを思いついても、立ち上がるまで、数分かかる。 その頃には、良いアイデアはどこかに吹き飛んでしまうだろう。 色々な機能はいらないが、電源を入れるとすぐに使えるパソコンが出て欲しい。 情報家電と言うものは、そんなものになるのではないかと思う。

散歩で出会った老人

会社の近くに潮風の散歩道という運河沿いの小道がある。 天気の良い昼休みには、ぶらぶらと歩いている。 少し前は、コブシの白い花がきれいだった。 今は、桜が見頃だ。 避難階段に、老人が杖を放り出して、ひなたぼっこをしていた。 近くを通りかかると、独り言のように話しかけてきた。 「私は、ずいぶん年を取ってしまった。歩くだけで、こんなに疲れるとは、情けないものだよ」 年齢を聞いたら八十九歳ということだった。 「この辺は、昔は全部海だったんだよ。戦後埋め立てられたんだ」 そうなんですか、と相槌を打つと老人は話しだした。 「戦争の時、空襲でみんなやられたんだ。ここまで逃げてきて、海に飛びこんだものだけが助かったんだ」 「大変なことが、あったんですね」 「運良く、うちの家族は、全員、助かった。そのあとに、東陽1丁目に移り住んだんだ」 老人は、明らかに話し相手を捜していた。 「東陽1丁目は、昔は遊郭だったんだよ」 「そうなんですか」 確かに木場のあたりに、そんな風情を残した所がある。 「遊郭と赤線の違いを知っているかね」 「えっ、違うんですか?」 「遊郭は、国の管轄だったんだよ。だから、花魁が逃げると警察が日本中探し回ったものなんだ」 「赤線は違うんですか?」 「マッカーサーが遊郭をつぶした後に戦後出来た赤線では、そんなことはなかったんだよ」 老人の話は、続いた。 話をしている時の顔を見ると、最初にであったときに比べて生き生きしていた。 とても九十歳に近い老人には思えなくなった。 時計を見ると午後が始まる1時にあと5分と迫っていた。 もっと聞いていたかったが、そろそろデスクに戻らねばならない。 「今日は、時間になりましたので、失礼します」 「残念だね。私は、東陽1丁目でクリーニング屋をやっているんだ。隣は、亀の湯という銭湯だ。 息子が同じ町内で寿司屋をやっているから、良かったら寄ってくれ」 軽く会釈をして分れた。 昔の人は、この老人のように、初対面の人とも気軽に会話をしていたのだろうか。 明治か大正にタイムスリップしたような昼休みだった。

ホワイトプラン

番号ポータビリティが始まって、かなり経つが、私も、その恩恵にあずかることになった。 ドコモの携帯を長年使ってきたが、最近のことが分からないので、近くの携帯ショップに聞いてみた。 今回の乗り換えの目的は、女房も携帯を持ちたい、月額の費用を減らしたい、というものだった。 どこでも、ソフトバンクのホワイトプランをすすめられた。どうやら、通話とメールのみだと、このプラン(980円で時間指定の通話、メールが使い放題)がいちばん安いらしい。 ついに、FOMAから、ソフトバンクに乗り換えることになった。 結果は、大満足。1台のドコモからソフトバンク2台の使用料を引いてもおつりがくる。しかも、使い勝手は断然向上している。 女房は、デカ文字対応のNEC製、私は、薄型のSAMSUNG製の機種を選んだ。 使っていて感じたことは、これは、すでに小さなパソコンだと言うことだ。 アップルが携帯電話に参入したのがわかった。何十年か前に、パソコンに出会って夢中になった感じが蘇ってきた。 アップルの携帯が日本でも売られたら、多分、買うだろう。それが、ホワイトプラン対応になればもっと良い。

林住期

3月いっぱいで、昔からの同僚が50歳の節目で会社を去ることになった。 子どもたちが独立したこと、母親の介護が必要になったことが 主な理由らしい。次の勤め先は、まだ、決めていないのだという。 50歳を過ぎて、何をやろうかという話になった時に、 五木寛之が書いた「林住期」と言う本の話になった。 インドのヒンズー教の考え方では、人生を25年ずつに区切って、 最初の25年が学生期、次の25年が家住期、 そして、50を過ぎてからの25年を林住期、 残りの百歳までの25年を 遊行期と呼んでいるのだそうだ。 学生期は、勉強して知識や技術を身につける時期、 家住期は、仕事をして結婚し子どもを育て社会のために働く時期、 林住期は、ボランティアなどをして社会に還元する時期、そして遊行期こそが、自分のために好きなことができる 人生で最も輝かしい時期だというのである。 この話をしたあとに、同僚は、とにかく、これから 好きなことを探してみたいと言って去って行った。 このインドの人生100年説から考えると、 50というのは、単なる折り返し地点である。まだまだ楽しいことがたくさんある。林住期を経て、遊行期という人生の収穫時期に備える期間だと考えると、これからの人生が楽しくなってきた。

桜の開花

春の一大イベントが迫ってきた。 これなくしては、日本の春は始まらない。 それに気象庁がとんだミソをつけてしまった。 開花の時期を間違えた、という。 間違えた事は、どうってことはない。 その理由が問題だ。 深々と頭を下げたが、その後がいけない。 コンピュータのせいにした。 大工が家の出来を問われて、 「かんな」や「のこぎり」が悪かったと言うだろうか。 潔く、私の力量が足りなくて間違えました、 と言ってもらいたかった。 気象庁が、何と言おうと、時がくれば 桜は、花を咲かせ、潔く散っていくだろう。

彼岸

お墓参りに行ったら、随分、賑わっていた。 暑さ寒さも彼岸までというが、春の気配を感じた。 啓蟄(けいちつ)という言葉がある。 虫が這い出すという意味だが、 これも、春の訪れを言う言葉だ。 ふと、足元を見ると、オオイヌノフグリの小さな花が咲いていた。 冬があるからこそ、春が愛おしい。 人の身勝手で温暖化が進んでいるという。 一年中、適温になったら過ごしやすいだろうが、 寒く厳しい冬が無くなったら、春の喜びもないだろう。 冬は寒い方が良い。 夏は暑い方が良い。

漱石の猫

漱石の猫は、文庫本でも500ページを超える長編である。書き始めた時は、短編のつもりだったらしい。 「我が輩は猫である。・・・」で始まる冒頭部分は名調子で読みやすいが途中で挫折していて最後まで読めなかった。 しかし、読み返してみると、中盤以降が実に面白い。漱石が何を考えて、何をやっていたのかが良くわかる。これは、日記のようなものだと思った。 小説のネタに行き詰まって、日常の生活を猫に語らせると言うアイデアが出た時に、この小説はほとんど出来上がっていたのではないかと思う。 角川文庫版を読んでいるが、僅かに400円で、これほどの娯楽が手に入ると思うと嬉しくなった。

カエルの話

庭に小さな水たまりがある。 水たまりと言っても、プラスチックの壊れた漬物入れに 雨水が自然に溜まったものだ。 この季節になると、その小さな水たまりに、 カエルが卵を産みに山から下りてくる。 暖冬の影響もあって、今年は、いつもより早かった。 透明なところてんを太くしたようなものがとぐろを巻いている。 その中におびただしい数の黒い卵が浮いている。 次の日、容器の回りに、大量の卵が外に放り出されているのを見つけた。 誰がこんないたずらをしたのだろう、と思って淵に目を移すと、 親らしいカエルが後ろ足で、卵を懸命に外に押しだしているところだった。 この不可解なカエルの行動を子どもたちは不思議がった。 何年か前に、小さな容器が真っ黒になるくらいのおたまじゃくしが湧いたことがあった。 しかし、容器が小さすぎたのか、カエルになる前に、全滅してしまった。 しばらくして、静かになった水たまりに行ってみた。 放り出された卵は、無惨に干からびていた。 少しは、卵が残っているかと、水の中の落ち葉をめくると、 痩せたカエルが頭をもたげた。 そして、次の瞬間、意外なものを見た。 カエルは、ひと房の卵を抱いていた。 その時、カエルの不可解な行為の意味が理解できた。 何年か前に、ここで起った事件を知っていて、間引きをしたとしか思えなかった。 カエルにそんな記憶力があるのだろうか、 子を思う親の心があるのだろうか、 そんな僕の思いには全く無頓着に、カエルは水の中の落ち葉の下に姿を隠して 静かに卵を守るのであった。

悲しみの遺伝

従兄弟のXさんが急に亡くなった。 私より、一つ上の若い死だった。 従兄弟の中で、いちばん運動も勉強もできたが 病気には勝てなかった。 辛い葬儀になった。 今年、大学を卒業する、ひとり娘のお嬢さんが 別れを惜しんで泣き崩れる姿は涙を誘った。 その姿を、何十年も前に見たことを思い出した。 仲の良かった従兄弟の一人が30年以上前に、 20歳を前にして亡くなった。 その時、十代のXさんは同じように泣き崩れたのであった。 Xさんと娘さんの姿が瞼の中でダブって見えた。

30年待ってくれた本

金沢八景の駅前に学生時代から通っている本屋さんがある。 親父さんとは顔見知りだ。 いつものように、良い本がないか物色していると、 本棚の奥の方に黄ばんだ表紙の古い本を見つけた。 「コンピューターへの道」という興味をそそる題がついている。 レジに持っていくと親父さんは、古本屋じゃないのに 100円でゆずってくれた。 何十年か前に、注文を受けた本で、取りにこなかったので そのままになっていた本だということだった。 昭和54年の発行だ。30年近くも、この本棚に置かれていたのかと思うと それだけでもワクワクする。 読んでみると、昭和20年〜30年代にパラメトロンという 日本で最初に作られたコンピュータの話だった。 真空管で作られたENIACよりも信頼性は高かったらしい。 トランジスタやICの出現で消えてしまった技術だが、 日本独自のこんなコンピュータがあったと思うと誇らしくなった。 100円の古い本でも、大変楽しむ事ができた。この本は、 30年も本棚で、僕に買われるのを待っていたのだろうか。 インターネットの古本には5000円という値段がついていた。 ずいぶん、得をしたな、と思った。

太陽が沈む時間

西の山を見たら、ちょうど真っ赤な太陽が山の稜線に接するところだった。 夕日とはいえ、見つめていると目に焼き付くくらいの強い光を放っていた。 見る見るうちに沈んでいく。 太陽の動きとは、こんなにも速いものかと思った。 計ってみたら、太陽が完全に見えなくなるまで、たったの4分だった。 時の経つのが速いことを実感したひとときだった。